偶然の確率

 特別にくじ運が良いという訳ではないのだが、自分の人生はほとんど流れに任せて生きてきたのでそれで今こうして生きていられるのは申し訳ないくらいに運が良いのかなと思っている。何をやるにも人様より先にやらなくては気が済まないという性格でもなく、残りものや与えられた環境の中で自分の好きなことや自分がやればいいのかなと思うことをしているだけなのだ。でも普通の生活が出来ているし、他人が見たらどうかはわからないがそんなに苦労をしてきたという気もしない。いつもそれでいいと思って生きているから残り少ない時間もこのままで行きたいと考えている。

 割と自然に今の生活が維持されているので、もしかしたら自分は運の良い方なのかも知れないと最近は思っている。そしてそれは自分がこうしたいとあがいている訳ではなく全てそれは偶然の結果なのだ。大きな転機があったとしたら確かに他人からはそのように見えるかも知れないが自分はそんなに無理をしたり、頑張った訳でもないので自覚はない。それらの結果はそれほど悪くはなかったし、むしろ良かったと思われているのかもしれない。今まで色々な場面で偶然に結果が良い方になっているようであるから、自分はこの偶然という確率だけが高いのかも知れない。それを過信してこれから生きて行く訳でもないので、終わるときにデータを調べてみるか、もしかしたらこれからはずっと悪いことばかりが残っていて続いて行くのかもしれない。

 でも確かに場面場面で偶然ということが多い。そのひとつを紹介すると今の店を始めたのは自分の周りで定年になったら古本屋のおやじでもやって本を好きなだけ読もうなどと言う人が結構いたのだが、さてその年齢になっても誰も古本屋を始めましたなどと言う連絡が来ない。ならば自分でやってみようかと思っただけこと、東松山で始めたのもここで働いていたということだけのこと、今の場所もその職場で知り合った人の持ち物だったということ、備品も自宅の建設会社の職人が作ってくれたもの、当初の市の補助も職場の人が近所にいて教えてくれたものだった。店を始めたら色々な人が皆さん知り合いであったり、○○ツアー氏が来たりという状態だった。一番の驚きはお客さんの中に私が以前に勤めていた会社の人がいたことで、なんと40年以上も前のことで偶然とは恐ろしいというか信じられない。はたしてこれからもまだこんなことが続くのだろうか。