歴史から学ぶということ

 ノンフィクション作家の保阪正康氏の講演会を開催することになった。名前は知っていたが、実際にどのような人なのかは知らなかったので本を読んでみた。昭和史を検証するという内容だったが、政治的な言質はあまり読みとれなかった。保阪氏の講座に通っているという人が中心になり、地元で講演会を開催したいと何度か話し合いをしているうちに、昭和史を研究、検証していく中で現在の政権が主張する政治の形があまり好ましくないと評価している事がわかった。特に今年施行された安全保障関連法については歴史的に見ても極めて危険なことではないかということを言っている。昭和史の戦争体験は戦後生まれがほとんどとなる今後の社会を展望するときに全く忘れられようとしているかのようである。そのことに危惧を抱いているのではないか。

 保阪氏のことはあまり知らなかったが、不思議なもので名前を記憶すると色々な所で目にするようになった。本もたくさん出ている。何冊か購入したのでそのうちに読んでみようと思っている。そして今日は朝刊で偶然に記事を見つけた。「昭和史のかたち」という記事で、月に一度の掲載のようだが、今まではまったく記憶になかった。記事の内容だが、国際社会に注目すべき発言をしている日本人として六人の名前を挙げて、その理由を述べている。昭和史の研究をする中で評価されるべき人物と言うことになる。それは歴史を検証すると言う立場でのもっともな発言である。最後に上げたのは記事の見出しともなっている柄谷行人「世界史の構造」である。保阪氏の主張は、近代日本の誤りがどのような結論に達するのかということを国際社会に発信する必要があると言うことであり、この著書は人類史の新段階への理論書と位置付けている。

 本は何度も繰り返して読むことが出来るテキストとして活用し、講義はその講師の人柄も含めた思いを共有する場となる。名前だけでなく当然その人柄も知らなかったが、高齢になっても歴史の研究を進め、過去の歴史から学ぶということは将来の社会に対しても思いを馳せることだと言い、その理論が難しく十分に理解できていないと素直に認めながらも、今後の社会の在り方について理論的に学ぼうとしている姿勢には頭の下がる思いである。