政治的なるものから遠ざかること

 日々の生活の中で、ニュースを見たり、聞いたり、読んだりするとどうしても国の政治が話題になる。家ではテレビでニュースを見ることが多いが、家族はいつも画面に文句を言っている。嫌な国会議員が出るとチャンネルを回してしまう。私の気に行っている同業者のホームページでも政治的な記事が多く書かれている。わからない訳ではないし、今の社会についての不満はどうしても政治が悪いということになってしまう。それほどに現実生活は厳しいということなのだ。

 私はここにはなるべく政治的な文章を書かないようにしている。ついつい不満や意見を書きたくなるが、堪えて別の話題を載せている。それは以前に政治家として挫折、失望したからである。初志の思いは皆同じような気がするのだが、政治家の椅子に座るとほとんどの人が既成の政治家然としての振る舞いになってしまう。皆同じ顔になってしまうのだ。それは本人の自覚とともに周辺の環境や支援者の対応などでもそうなり得る。それらも身をもって経験している。政治家になっていくのが周辺も喜び、自分も楽になるのだ。そして孤独感を味わい虚しくなっていくのだ。

 ある意味では現実から逃げていると言われるのかもしれないが、政治的な主義信条は変わらないし、答を求められる場面では何ら悩むことはない。でも何時までも若くはないし、別の方法で自分なりの活動が出来ればいいと思うし、何時までもデモの先頭に立って旗を振ることに生きがいを見出している事はないと思っている。むしろ将来的なことを考えたら、小さな子供たちやその親たちにきちんと社会的な活動の意味を伝えていかなくてはならないだろうと思っている。皆年齢を重ねても若くて元気があるから自分がリードしていきたいと思っているのかも知れないが、次の次を考えてじっくりと若い人に寄り添っていきたい。