金曜日を読むこと

 「週刊金曜日」という雑誌がある。これを創刊時から定期購読していた。創刊前の「月刊金曜日」もまだ持っている。何故なら一切の広告を載せないと言うことで社会にもの申すと言う姿勢で始まったからである。同時に書店では販売しないと言うことだった。創刊後は識者の講演会開催や地域の読者会活動などをやっていた。だが、その後書店販売が行われるようになり、定期購読は解約した。単純に欲しい号だけ書店で買えば良いということが可能になったからである。不思議なもので何時でも買えるとなるとだんだんと買わなくなってしまった。主要なメンバーが亡くなったり、いなくなったりで読者会もやらなくなってしまった。そして今は、全く読んでもいない。

 20年が経過して、家では家族がまた定期購読をしているので「週刊金曜日」が毎週送られてくる。内容的にはあまり変わった印象がないが、編集委員が変わっているのと社会状況が変化しているので時事問題が多く取り上げられている。当初より柔らかな誌面になっているような気がするのだが、広告を載せないで社会に諂うことなく記事を書いていくということは当然反社会的な内容だと判断されるということなのだろうか。このような雑誌を読むと言うこと自体が今の社会においては偏向している雑誌だと言われて違和感を生みだしているようだ。本屋に行って総合雑誌のコーナーに行くとそのような雑誌がいっぱい並んでいる。本来雑誌は発行者によって偏向しているもので、それは色々な出版社の出しているものをみれば明らかである。テレビで「クローズアップ現代」や「ニュースウオッチ9時」の司会者が交代したり、「ニュースステーション」や「報道ステーション」の司会者が辞めたりするということの背景が会社の方針ということになるのなら、スポンサーも何も気にしなくても良い筈の雑誌に書かれている事など気にしなくてもと思うが、何だか変わった人達が読んでいる雑誌という風に見えるらしい。