老後の参考書

 近くに大きな書店が出来たせいでよく行くようになった。しかし、私の欲しい本はほとんど在庫なしと出てくるので仕方なく衝動的に何か買ってしまう。そんな訳で最近は新刊本をけっこう読んでいる。古本屋はあまり新刊本は買って読まないようだ。待っていればそのうち古本出手に入ると考えてしまうし、定価で買うことに抵抗感が出てしまうのかもしれない。今は定年退職後の趣味の店という感じで見られているのではないかと思う。それを完全に否定できるほど商売が出来ている訳ではないので仕方ないが、世間で言われるほど今は本が売れないと言うのは当てはまらない。何しろほとんど売れないのだから。暇を良いことに最近は本を読むことにしている。何しろ店の棚にある本で読んでいない本はいっぱいある。そのうち読めるだろうと言うことはなく、実際には読まずにため込んでいただけだったのだ。

 さて、高村薫「土の記」を読んだ。新刊である。この本は昨年読んだ本の中ではかなり面いと思う本である。一気に読んでしまった。それでも三日間位はかかった。何しろ単行本で上下巻600ページほどあるだろうか。実は面白かったので少しずつ読んでいた。大体が食わず嫌いの傾向があり、それほど色々な作品を読んでいる事はない。面白いと思った作家の作品をある程度集中的に読みかじっている。当然この人の作品は初めて読んだ訳で、面白かったので他の作品も捲って見たがそれほど興味は持てなかった。何が良かったのだろうか。この文体、語り口が一つある。このような興味を持ったのは10代の頃に教師から教えられた大江健三郎の作品以来だろうか。実に取っ付き難いが先に読み進みたくなるのだ。特徴的なのは会話文が括弧付で書かれることなく主人公の独白のようにずっと綴られている事である。著者の他の作品はそうではなかったので敢えてそうしたのだろう。

 大きなテーマとして取り上げられているのは過疎地の農業のこと、加えて高齢者問題だろうか。会社勤めをしながら農家に婿入りする、妻が出入りの営業マンと不倫する、自分はいつの間にか認知症になってくる、近所の女子高生が殺される、今は妻の妹と暮らす、そこに東日本の震災や原発事故、地域に怒る社会問題など、それにしてもものすごい知識と情報量を盛り込んだものだと感心してしまう。それらを独特の語り口でどんどん出してくるのだから圧倒されてしまう。

 さてさて、定年退職後の田舎暮らしは、以前はある意味では理想的な生活だった筈だ。だが今の農業に期待は持てないし、過疎地での高齢者問題はかなり深刻だ。これは自分にとっても同様で少し心配になっている。それらを考慮しても農作業を淡々とこなしていく日常生活と、地域においてどう暮らしていくのかを考えると、こうして生きていくことがこれから現実的になってくるのだろうと思う。しかし、この主人公のように半分だけ現実で半分自分の世界で生きていけるのならそれも良いじゃないかという気持ちになってくるのだ。筆者の考えとは別に、これから残りの人生をどう生きるかは自分にとってもかなり悩ましいことになっているのだ。古本屋の店主として年金を食い潰していつまでこうしていられるのかは全くわからないし、いつ痴呆になって病気を抱え込むかもわからない。若い時からあまり深く考えないで生きてきてしまったので未だにこんな状況なのだ。そんなことを考えながらこの本を読んだ。ラストが哀しいと他の人は評されていたが、私はこんなもので良いと思った。「土の記」高村薫(新潮社)