いよいよ宗教本を読む

 だんだんと年齢を重ねてつい宗教本を手にしてしまう。と言っても昨年何かの書評欄に紹介されていたので面白そうだと思い買っておいたものである。実はまだ読み終えていない。それも全然進まないのだ。何というか難しくて理解が出来ない部分が多すぎる。読みとばしても良いのだが結構面白いのでじっくりと読んでいるのだ。早稲田大学文学部を出て仏門に入った人と東京大学法学部を出て牧師になった人の対談本である。このかなり理屈っぽい二人の対話が実に面白い。読んでいる時は実に明快明晰に理解できているつもりだが、本を閉じた後では何が語られたのかが残っていない。仕方なくもう一度繰り返して読むと納得する。そんなことを繰り返しているのでなかなか前に進んでいかないのだ。おそらく読み終えてもまたこの本を開くことになるだろう。すでに他の著書も入手してあるのだが時間がかかりそうだ。

 何が気になるのかというと、ここでは仏教もキリスト教もその本質論を追及している事である。この人たちは本当に自分たちの信仰している宗教を信じているのだろうかという危うさまでも感じる。勿論それは信じたいために疑問を呈している訳だが、その徹底ぶりがすごいことになっている。私にはいまこれからの人生の送り方についての迷いがある。若い頃には生活のために生きることがあるが、すでに仕事も辞めており、最低限の生活があればそれで済む。食べることも多くを必要としない。通勤のために出かけることもない。特別の趣味や嗜好もなく時間が過ぎるままに生きているのだ。そんな暮らしの中では自分は何のために存在するのかという究極的なテーマを説いてくれるこのような本はとても有難いことである。「禅と福音」南直哉・来住英俊(春秋社)