読書の方法、選書のきっかけ

読んでみたいと思いながら積み上げられている本が増えている。なぜ本を読むのかということから、何をどう読むのかということへ向かう。残された時間があまり無いのだから欲張ってみても仕方がない。読まなくても構わないのだから。したがってお客さんから教えられた本や探しているという本などを読んでみたりしている。一冊読み終えるとそこから派生して別の本を読むと言うことの繰り返しで、読んでみたいと思っている本が自分の出番を待つように積まれている。店があると色々な人がやって来るが、接客のお喋りの中でも色々なことがわかってくる。基本的に本の好きな人が来るので、不思議なもので本の好きな人はどこかで繋がりを持っているような気がする。この本はお客さんから借りた本なのでいつ来店しても返せるように一気に読み終えた。著者は近くの大学の教授ということであり、本も昨年末に発行されたばかりである。お客さんは教授と知り合いであった。頂いた本だが興味があるなら読んでみないかということなので借りた次第である。その大学からは別の教授が店によく来店するのでこれも何かの縁かもしれないと思う。何を読むかということについて情報を集めることも無く日常生活の中から次々と現れてくる。

 行ったことのない国の知識のない話だが、表紙の写真に気をひかれて内容に入っていった。中にも紹介されているが何とも美しい仮面である。仮面の持つ意味、専門が演劇論ということなので祭りの中の仮面の意味、途中は古代史まで入ってきたので悩んでしまったが、歴史的な背景から理解できるので読みやすい。演劇との関係で言うならば仮面をつけることにより変身をはかることになる。その意味としては自己逃避と自己表現が考えられるが、多分両面が使い分けられているのではないかと思う。亡くなった漫画家の永島慎二の作品に「仮面」という短編物がある。日常生活に疲れた人が海辺で付けていた仮面を海に投げ捨てる。その笑顔の仮面の下には悲しそうな素顔があるのだが、ラストシーンは「やっぱり駄目だよ」とつぶやいて捨てた仮面を再び付けて帰っていくというものだった。仮面をつけた祭りの後にやってくる日常生活、素顔のよそよそしさは仮面を付けることによって拭えるのだろうか。「ヴェネツィアの仮面カーニヴァル」勝又洋子(社会評論社)