続・社会的事業と新公共スタイル

  最近本の買い取り依頼で出かけると年齢的に共通している傾向がある。団塊の世代が会社を辞めて生活の整理を始めているような場合と連れ合いが亡くなって蔵書を片付けたいという場合などである。不思議とその蔵書も似たようなものが多い。時代によって多く売れた本、よく読まれた本が一斉に放出されてくることになるのだ。中には貴重な本をいっぱい持っている人もいるのだろうが、所謂ベストセラー的なものはそれだけ読まれた分が古本としては有り余ってくることになる。買った時には高い値段で買って、それなりの思い入れもある本が年取ってくると邪魔なものになり、整理されることになるのは残念なことだ。しかも今や本は売れなくて安くなっているのだから捨てたほうがいいと考えてしまうのも仕方ないことなのかもしれない。運動的に何とか本の活用法を模索していきたいと思う。

 定年退職した後に何をしたらいいのかということが問題になってくる。まだ体力も意欲もあるのに実際には働く場が見つからないという人もいるし、年金生活は結構厳しいので生活のために節約しているということもある。歳をとると身体もあちこち悪い所が出てくるが、病院に行くと医療費が嵩むので控えているという場合もあるのだ。肝心の年金も少しずつ減っていくのだから老後の不安は増大するばかりだ。健康のためには全く仕事をしないというよりも短時間でも働いていた方が良いし、年金と合わせて多少の賃金を貰えれば生活不安も解消に向かうのではないかと思うが、現実にはそうはなっていかない。

 一番気になるのは仕事中心の生活をおくってきた人が地域での居場所が見つからないでいるケースである。趣味を見つけてサークル活動を始めたり、健康のために運動を始めたりと色々模索している人もいるが、やはり働くことが当然の生活だった訳だから、やることも無く悩んでいる人もいるような気がする。毎日のスケジュールを立てて色々な所に出かけては忙しいことを生きがいにしている人も見かける。国策で年金受給を遅らせて働き方改革を進めるなら、若者たちの生活を安定させ、全世代が安心して暮らせるような政策を充実させるべきではないかと思ってしまう。

 いつからだろうかと思えば、30代後半から誰かのために働くことを考えていた。自分の能力も限界が分かり、身体の調子が悪くなりと言うことが続いて無理をして働くことはしなくなった。同時に、今も同様かもしれないが無気力になり自分のやりたいことを優先することもしなくなった。そこから誰かのためにということが社会のためにと変わっていき、何か役に立てればと模索するようになっていくことになる。余計な欲望を持たなければ精神的には楽になるので流されるままに生きてきてしまった。勿論それなりに置かれた環境で精一杯頑張ってきたつもりだが、あんまり評価はされていないと思っている。