恥を知る

 最近には珍しく前回行ったことのある古本屋を訪問した。連絡してから来て下さいと言われたのだが行ってみたら開いていた。店内は相変わらず本が崩れて奥の本は見られなかったのだが、何冊かの本を買って帰ろうとしたら店主から声をかけられた。私の買った本の中に何冊かの詩集が入っていたせいかもしれないが、車の中に詩集がいっぱいあるのだが見ないかと言うことだった。店の前に止められた車の中には大量の本が積まれており、そのうちのいくつかの束は詩集の山であった。ちらっと見ると私の欲しかった詩集と知り合いの詩人の詩集があったのでこれらを全部譲ってほしいと言ってしまった。じっくりと見ると詩集の束はかなりの量があり、全部を合わせると300冊を超えるものであった。古本好きの業とはいえ、結局それらを全部買い取ってしまった。合計ではかなりの金額になり、後で後悔するばかりだった。

 私も詩の同人誌を出している。その後記で世に星の数ほどある同人誌と言うことを書いたことがある。当然のように世に詩人の数は同人誌の何倍かはいるであろう。その人たちが詩集を出せば世に詩集の数はさらに何倍かの数になる計算になる。私も過去に一冊の詩集を出したことがある。図々しくもその詩集を色々な人に勝手に送りつけて感想などを送って貰ったことがある。私の買ったその詩集の山はほとんど私が名前を知らない詩人のものだった。何故こんなに大量の詩集が古本屋の倉庫に眠っているのかと考えると何だか過去の私の行いに顔が赤らんでくるような気持ちになってしまった。これらの詩集とわたしの出したものとではレベルの違いは明らかでさらに追い打ちをかけられるようだ。今私の手元にある大量の詩集を毎日少しずつ綺麗に清掃をしているが、何だか複雑な気持ちになっている。