雨の日の古本屋

 古本屋に限らず雨の日は書店にとっては辛いものがある。本が紙媒体である以上水に濡れることがあってはならない。店頭や入口に雑誌などを並べている店は特に注意が必要である。知り合いの古本屋は雨で閉めてしまうこともあると言う。かなりひどい雨だったりしたらお客さんだって来ないだろうし本だって濡れてしまうだろうからその気持ちはよく理解できる。それほどの雨でなくても並べてある本が濡れる要素はいっぱいある。お客さんはそれほど気にしなくても店側は緊張しているということになる訳だ。

  当店があまり目立たないわかりにくい店なのでお客さんが色々とアドバイスをしてくれる。飲物を出したら良いのではないか、店の前に品棚を置いて安く売ったらどうか、目立つような看板でも出せば良いのに、もっと店の宣伝をしたらいいのではなどである。要するにそういうことをしていないからだ。その上に雨だとしたらこれは悲惨な想像しかできないだろう。そんな時は何をしているのだろうかと不思議かもしれないが、店を開けてそこに居る限りやることは結構あるものなのである。だが今日は買ってきた本を読んで過ごしてしまった。特に欲しかった本ではなかったので雨降りの今日は読書の日にしてしまった。筆者はドキュメンタリー映画を主に撮っている映画監督で、以前勤めていた会社の事業所を舞台にしてその事業形態を映画作品として撮影した人である。その後に何度か集会などにも来てもらっていたので書店で見かけて買ってしまった。いくつかの社会的事件について書かれているが、総体的にその裏側から見た現代社会批判とも言えるだろうか。新しい事実の提起はないがどれも共感できる内容で納得する。悲観的でも行動し続けるという性格がもしかしたら同じなのかも知れない。こうしてぶつぶつ言い続けるのだろうか。「不寛容な時代のポピュリズム」森達也(青土社)