一体どこに置き忘れてきたのだろうか

 最近はじっくりと本を読むことが出来なくて何だか慌ただしく冊数を稼いでいるような読み方をしている。自分に残された時間がどれだけあるのかわからないまま本を読むことに無駄に費やしているようだ。昔定期購読していた雑誌「自然食通信」の揃い本がネットに出ていたので懐かしくて購入してしまった。それでも何号かは欠けている号があるのだが、自分が持っていたものはすでに手元には無くなっているので再度読むことが出来た。廃刊になってからももう何年も経っているので今更という気もしないでもないのだが、また新しい読者が若い人の中から出てきたのでそういう時代になってきているのかも知れないと思っている。自分が若い時に生協に入って共同購入をしたり、食の問題にも関心を持っていた時があったのだ。同時に食の問題は環境の問題であったり、生活自体を問い直す機会でもあった。そんな運動に関わって色々な本を読みながら参加していた記憶がある。「自然食通信」の中には様々な運動や生活スタイルが紹介されていてそれなりに刺激を受けてきた。連載記事の中には色々な本を紹介するコーナーもあり、今回それをまとめた本も同時に購入した。何とも多くの本が紹介されていて面白そうなものをチェックしていったら店にある本も結構出てきた。結局一覧を作成してまた少しずつ読んでみようかという気になっているのだ。そして今日はその作業で終わってしまった。それにしてもと思う。これらはすでに一度は経験してある意味では実践してきたことだったのではないのか。自分の記憶の中では何だか懐かしいという想い出のようになってしまっている。もう一度これらの本を読んで自分はどうするのだろうか。そんなことも考えながら今は若い時に読んだ文学の類やお客さんから教えてもらった様々な本をあれこれ手当たり次第に読んでいる。天野正子「生活者とはだれか」(中公新書)、加藤哲夫「ブックニュース最前線」(無明舎)