過去を探すこと

 古本屋の片隅で自分の好きな本を読みながら文章を書いたりしているとだんだんと見えてくるものがある。どんな本を読んでいるのかという部分では積極的に周囲の意見を取り入れて様々なものを読むようにしている。どんな棚にするのかという部分ではやはり自分の好みが優先していく。何度も同じ本を買ってしまうというのもそういうことの一環である。今はある程度店の棚の数で済ませるようにしているので丁寧に見ていけば書斎のごとく見渡せることになる。すると何が見えてくるのかというと自分が並べている本が昔の読んでいたものや読みたかったものであるということになっていることである。本を読みながら調べていくと読めなかったものが出てくるし関連するものが出てくるのでそういう本が集まってくるようになる。すでに音楽の類は処分してしまったので残ったいるのは買い取りで入ってきたものだけになっている。よく読んだ漫画類も現在処分している最中である。後は本を読み終えていけば全て処分できるようになる。

 最近は歳を取ったので昔のことをよく思い出すことがある。夜中に目覚めて今見た夢のことなどを考えてしまうことがある。すると胸が苦しくなり自分の人生は何だったのかという大きなテーマに悩まされてしまうこともある。朝目覚めるとまた別の自分になっていてそんなことは忘れてあまり考えないようにもしている。だが古い自分の思い出に関わる本や懐かしい場面を連想させる本などを知らないうちに集めてしまっているような気がする。懐かしさとともに恥ずかしい想い出や息苦しさも引きずりながら想い出を読んでいるのかも知れない。そんなことが今までずっと続いているような気がする。東京に出てきた時は田舎の家から解放された開放感のようなものを感じた。自分の好きなことができると思っていたがその後はただ孤独だったような気がする。そんな若い頃の思い出と当時夢中になっていたフォークソングのことなどを考えた。「高められたはなしことば」片桐ユズル(矢立出版)