忘れていくこと

 忘れていく病気というものは本当に怖いと思う。自分ももう昔のことはほとんど憶えていないし、何かを見て思い出すということも出来なくなってきた。先日は親戚の人が亡くなって式に出席したが、周りのほとんどの人が知っている筈なのに全くわからない状態だった。教えて貰ってこの人が誰でと言った所で何も思い出すこともなく他人と話しているような状態は変わらない。また自分の親の晩年はもうすっかり他人であった。元々他人ではあったが、その後にあった色々な思い出は何の意味もなく忘れられていた。自分の家族がわからないと言うことが現実になると自分の今までの生活が無かったかのようにも思えてくる。いつか故郷の実家に帰省した時に小さかった頃の写真を貰って帰ってきた。そこには確かに自分だという見たこともないような子どもが映っていた。今更このような写真が手元に戻ってきても記憶が戻らないのだから何の意味もない。さて、この著者の本はすでに何冊か読んでいる筈だが、いつも読んでは感心して驚いているような気がする。同じことに感動を繰り返しているのも忘れていくことによって得られる幸福だと思えばいいのだろうか。食の問題をわかりやすく解説してくれるので、すでに多くの事柄を学んでいる筈なのに同じことを繰り返しているのも恥ずかしいような気もする。今回五つの章に分かれており、その第五章は食と農業の再定義について書かれている。食べることをどう再定義するのかは理解できるが、システムとしての農業が常に国によって壊されていくのが残念なことだ。書かれている種子の問題は国の管理下に置かれるようになって、農業における種の保存の道筋も断たれていくのだ。「戦争と農業」藤原辰史(インターナショナル新書)