かわいそうなぞう再び

 毎年この季節になるとテレビや新聞で戦争に関するニュースや映像が取り上げられる。この時期だけ報道されるのもどうかと言う人もいるが、それでも報道されるだけでも意味があるのではないだろうかと思う。それにしても毎年新しい映像や資料や音声データなどが出てくるのはどういうことなのだろうか。情報公開の制度上で少しずつ公開されているのだろうか。多くは戦争時の秘密事項だったというものが出てくると、やはりあったのかという残念な気持ちになる。比較して日本の官僚は都合悪いものは皆処分してしまうようだ。敗戦時も資料は全部処分してしまったようだ。これでは新たな資料が出てくる筈がない。最近の国会での質疑を聞いていてもその体質は変わらず都合悪い資料は出てこない。いらいらもやもやしてもそれで済んでしまうのだからやりきれない思いだ。

 先日のラジオ放送で「秋山ちえ子の談話室」で放送された「かわいそうなぞう」の朗読を聞いた。毎年この時期に朗読していたものらしいが、すでに亡くなっているので再放送されたものだった。初めて聞いたので全部は覚えていないが、どうも原作をそのまま読んでいるものではなかったような気がした。この絵本の内容については一部で戦争の真実を伝えていないと言う批判があった。その内容については何冊かの関連図書を読んで納得する部分もあった。今回秋山氏の朗読も聞くことができて、また何が問題にされたのかがわからなくなってしまった。戦時中のどさくさの中で行われた様々な出来事については多くを語らない人達がいる。新たな資料が出てくることでまた違った見方が出来るようになることもある。絵本の朗読を聞いた印象としては戦争の悲惨さは十分に伝わってきた。そのために犠牲になったぞうや動物たちの悲劇も理解できるものだった。この時期だけ放送される戦争時の映像も見る人の戦争は嫌だという気持ちを十分に喚起するのではないだろうか。と思う。