趣味的な古本屋

 知り合いの人から店を始めてもう何年になりますかと言われたが詳しいことはよくわからない。店を借りた時期はわかるのだがそこから一人でのんびりと準備をしてきたからだ。本を棚に並べ始めたらお客さんはやってくるので棚を作りながら本を入れて少しずつ本屋らしくなってきた状態である。実はその時点でも未だ以前の仕事は辞めていなかった。近くの事業所では後継者育成を進めていたのできちんと辞める形になったが、本部の仕事は後継者がいなくて週に2日出勤していた。それ以外の日は午前中アルバイトをして午後から店にいるような感じだった。今から考えるとかなりきつい労働をしていたような気がする。とにかくもっと楽な日程にしようと思い年齢的な節目で店だけに集中することにした。その位の段階ではもう本もかなり増えており、何となく本屋らしくなっていた。しかしそれはやはり趣味的な古本屋という程度で、そこから商売として成立するようになっていないのが実情である。歳をとってからの開店なのでこれ以上の展望はなかなか拓けないだろうと思っている。

 当初の計画では身体が動く限りは年齢も関係なく出来るだろうと思って定休日や営業時間などを決めていた。本の買い取りも出来るように管轄の古書組合にも加入するつもりで合わせたのだが、そうそう本が売れる訳ではなく現実には難しいものがあった。したがって店としての内容はますます趣味的になっていくしかなかった。勿論頑張っている他の店もあるし色々工夫して経営をしている店もあるので可能性はあるようだが、自分にどこまで出来るのかはわからない。店を始めてから関連する本を読んでいると面白い店がいっぱいあることもわかったのでそれらの店を見学に行ったり、長く商売をしている店なども見に行って勉強させてもらっている。あれこれ考えながら年齢を重ねてしまっているといった感じである。昔の古本屋というのはどういう商売をしていたのか、現実にどのような運営をしているのか想像するしかない。一度骨董組合の競り市に見学に行ったが、かなり高額の売り買いが行われていたので趣味でやれるような所ではなさそうだと言う印象だった。

 この著者も含めて長く古書店を営んでいる人の本を何冊も読んだことがある。昔は神田の店を端から見て回って本を買っていたこともあるし古書市にも行ったことがある。今はネットでの販売が中心になってしまったのでそんなに高額の買い物は聞いたことがないが、昔の古書店ではすごいことが行われていたのだと思う。古書の世界ではまだ昔のイメージを持っている人が多いのだろうか。その時代を生きてきた人の現代に至るまでの変遷がきちんと書いてある。デパートなどで行われる古書市では作家原稿や書簡、日記の類が展示されることがある。個人的には、献呈本なども含めて個人の名前が入っているものについての公開はどうも気になる所がある。亡くなっているのでその想いはわからないが、やはり個人的な情報などはどこかで守られなくてはいけないのではないかという気がする。ここではタイトルにあるように作家の肉筆原稿を収集することが古本屋の商売にもなり、貴重な文献や資料の保存にも役立つということがわかる。そしてタイトルが示す通りにその経過が内幕を含めて書かれているのだ。やはり古い時代の話になってしまうような気がするが、あとがきの内容が身に沁みる。「文芸春秋作家原稿流出始末記」青木正美(本の雑誌社)