いつも誰もいない場所に自分一人がいる

 これは作品の中に出てくる言葉であるがこの言葉が示すように彼女の作品は発表されてきている。ある意味では先駆者であり流行に左右されない作品を常に作り続けてきた。作品リストを見ると実に色々な所に描いているがわゆる恋愛物を中心とした少女漫画の枠に入らない作品をずっと描いてきている。絵柄も堅い感じで線も太く内容も雑誌の中では異質である。初めて樹村みのり作品を読んだのは1969年、雑誌「COM」に掲載された「おとうと」という作品である。それ以前には全く読んだ記憶がなく名前も聞いたことがない。そんな中で「おとうと」は強く印象に残って、その作品を切り取って保存していたことを覚えている。最後の弟の手紙の内容は当時高校生の私にはとても魅力的だった。その後、しばらくは古本屋に通い作品が載っている昔の雑誌を収集してほぼ一度は目を通すことができた。だが今回の作品は読んだことがなかった。

 作品は作者の全てではなく作者そのものではないのは当然でそこにはしたたかに計算され考え抜かれた物語が描かれているだけなのである。どれだけ作品を読み込んでもなかなか作者の本当の姿をそこから見つけることは難しい。にもかかわらず思わず作者の心情まで誤読してしまうような思いにとらわれたことがある。単純に楽しめればいいのかも知れないがつい意味を深読みしてみたりする。彼女の作品の多くには説明書きが入るのが特徴である。そのナレーションは主人公のものであったり、他者のものであったり、あるいは作者の説明であったりと複雑な構造になっている。掲載ページ数があんまり与えられなかったという関係で説明が多くなったという本人の言葉もある。またなぜ分かり切ったことを言葉で説明するのかという読者の質問に対して、自分はわかっていることをわざわざ言葉で説明しているのだと答えている。初期作品から共通しているのは日常生活の中で起こる様々な出来事を拾い上げて丁寧に説明していくことによって真実を描き出していく。その姿勢が作品を超えて読者へ向けて生きるとは何かという生真面目な問いかけとなっている。私たちが見つめようとしないものをあえて引き出して再現していくのである。樹村氏の年代には学生運動があり、当時当然その周辺にいたと言う。当時社会的正義感をもって強い関心を抱いていたということになる。そして大学卒業後に漫画家への道を歩き始める。女性が自分たちの視点で自分たちの主張を始めた時代にも遭遇し少女漫画の世界で自分の関心のある描きたいものを描いていくというスタイルを主張してきた。こういうことなんだよと一つずつ丁寧に表現してきたとこと困難な表現に取り組んでいることは評価していいのではないか。それにしても本当に信じられない位の偶然があるものだ。50年を経て探していた漫画雑誌がこうして見つかるものなのだ。「ともだち」樹村みのり(ミミデラックス初夏の号・講談社)