哀しい読後感

ここ何年かテレビなどで話題になるので芥川賞受賞作品をいくつか読んでいる。今回もテレビのニュースで見て書店に行った際に棚に並んでいるのを見た。不思議なことに受賞が決まると書店には一斉に受賞作品を掲載した単行本が積み上げられる。違う作品だったとしても同様で、すでに候補作に上がった段階で各書店には本が届けられているのだろう。

今回作者の受賞の言葉や周辺の話を聞いたら何だか気になって読んでみたくなっていたのだ。だが何日か待てば掲載作品が載った雑誌が発売になるのだからと思って買うのは我慢した。しかし何か田の作品を読んでみたいと思って文庫本で探してみた。棚を探してみたら何とちくま文庫でデビュー作品が出ていた。帯を見ると太宰治賞と三島由紀夫賞を受賞しているという。文庫本には三作が収録されていたが、表題の「こちらあみ子」という作品が良かった。

何故この人の作品を読みたかったのか。本人の受賞の言葉にアルバイトをやりながら暇な時に明日は来なくていいと言われた時、自分は社会に必要とされていないのではないか思い小説を書こうと決めたと書かれていたからだ。最近の芥川賞受賞作品の中では最も気になっていたのが「コンビニ人間」だった。読んでもいないのにこの作品と同じような内容なのではないかという印象を受けたのだ。

読んだ作品の中の家族構成は複雑でそれぞれが病んでいる。周辺の人間関係はとても上手く描かれていて昔の田舎の風景や人の優しさが読み取れる。だが「コンビニ人間」もそうだったが、狭い人間関係の中に現代社会の縮図がいくつも押し込められているのだ。ラストに何の救いもないと言ってしまうとどうしようもない。そこから明るい兆しを読者が見つけることが必要なのだ。

色々なニュースを見ていると本当に今の世の中は生きづらいのだと感じる。それは自分の今の状況も同じである。いつ逆の立場に変質してしまうかわからない危険を感じるがかろうじて踏みとどまっている状況だ。これらの作品がどう評価されていくのだろうか。

今日掲載作品が載っている雑誌を買ってきたがまだ読んでいない。これから読む。選評の他に選考委員の一人が辞めたのでその人の文が載っている。ここ数年の選考で「コンビニ人間」が理解できなかったことが辞任の出発になっていると言う。「こちらあみ子」今村夏子(ちくま文庫)