懐かしい名前を見た

毎年市内でやっていた「平和のための戦争展」というイベントが今年は新型コロナウイルスの流行により中止となった。知り合いに頼まれて実行委員として参加していたが例年より少し早い段階で実行委員会が招集され今年の開催はやめるという結論が出された。もう何年も実行委員をやっているような気がしてそろそろやめたいなと思っていたので中止はほっとした気持ちもあった。歴史的には30年以上もあるのでイベントそのものは来年度に続くのだろうが当初の意図とは別に行政の意向が積極的な実施に向かっていないのだ。中心になっている労働組合と行政と市民団体の三者による実行委員会形式の平和イベントなのだが市の姿勢は最近は極めて消極的だ。むしろ実施に反対しているような気がする。具体的には補助金や会場の提供などでそれを感じるし内容にもかなり意見を出してくるような気配である。そうなると実行委員の中にも反対に意欲的になってくる人もいるが実際の所はマンネリ化している部分もある。今年は取り敢えず中止だが次年度以降はどうなるのか今の段階ではわからない。実行委員会の事務局などを担っているのは地元の労働組合である。当地では以前から組合運動が力を持っていたようだが引っ越してきてからの参加なので昔のことはわからない。ただ組合の一部には教職員組合もあり未だに市内に事務賞を構えている。先日はそこで実行委員会が行われたのだが初めて行った場所の中に貴重な過去の資料があり見ていたら懐かしい名前を見つけた。以前に住んでいたところでやはり市民運動的な関わりの中で知り合った人の名前だったのだ。そういえば以前は教師をやっていたと聞いたような気もする。その土地でもいくつかの市民運動に参加していたがその一つに子供たちの教育問題と差別問題があった。住んでいた所の近くにいた子供が差別問題で自殺したのだ。教育機関にも地域の団体にも知り合いがいて運動にかかわる人たちにも知り合いがいたので時々顔を出していたのを思い出した。その名前を調べてみたら一冊の本が出てきたので読んだ。作者は引っ越してからも苦労したようでそのことがかかれていた。引っ越すことが決まった時に送別会を企画して仲間が集まったことを懐かしく思い出した。当時も今もそうだが良いことも嫌なこともある。「タカシの中学生体験記」嶽本秀子(鳥影社)