詩人吉田正人

長年の知り合いである詩人吉田正人氏が亡くなったのを知ったのは今年であった。毎月送られてくるミニコミ誌「遊撃」野中に読者の投稿がありそこに吉田氏の亡くなったことが書かれていた。そういえば最近は詩集が送られてきていなかった。こちらからも特に何かの発行物を送ることもなく何となく疎遠になっていた。今まで「遊撃」を送って貰いながらあまり返事も出さずに失礼をしていたので申し訳ないと思っていた。皆さんどなたも高齢になりそれでも機関紙などを発行することが続いている。それも律儀に毎月の発行である。この機会に送って貰うことを辞退することにした。私が読者としてあるのはなくなった吉田氏の紹介であり最近は店のある地元の丸木美術館での詩の朗読会にも参加したことがあった。しかしあまりにも長い年月が経過していることもあり少しずつお付き合いを減らしていこうと考えている。その旨を書いた手紙が「遊撃」紙面に掲載されて以後は送られることもなくなった。その後に「吉田正人詩集」が送られてきた。吉田氏のパートナーから丁寧な手紙も添えられていた。思えば今から50年も前の記憶であるが吉田氏と初めて会ったのは静岡市の地下道である。障害のある体で自分でガリ版刷りした詩集を売っていた。何度か買ったのだろうか。当時の記憶があまりないのは残念なことである。それからは詩集が毎回送られてくるようになった。私も自分の作ったものを送っ多様な気がする。そんな付き合いがずっと続いていたのだ。最近はほとんどその機会もなくそのままになっていたのだが本当に懐かしく思い出す。その後さらに詩集の続編が送られてきた。手元には吉田氏の二冊の詩集がありそこには若い時から詩から私が送ってもらっていた詩集がまとめられている。送って貰った詩集は数冊を除いてほとんどは手元には残っていないがこうして再度吉田氏のすべての作品を読むことができるようになった。覚えているものを忘れているものも含めて送って貰った当時とはまた違う感想がある。遺稿集であるから作品について二人で話すことも出来ないのが凄く残念な気がする。今回初めて静岡から引っ越してから私の住む所の近くに住んでいたことを知った。その頃は手紙のやり取りもなく全く知らなかったがそれもまた残念なことである。私が勤め先のサークルに所属して作品を書くようになった時にもアドバイスをしてもらっていた。今少しずつ送られてきた詩集を読んでは昔を懐かしく思い出し何とも言えない気持ちになる。