何が違うのだろう

先日買った本を読んでいて思う。最近はこんな話をよく聞くことが多い。本の内容は前半で学校に行かない不登校で引きこもりの子供時代から始まるのだ。でも今は大人になって装丁家として働いている。学校になじめない子はどこにでもいた筈である。自分の小さい頃はどうだったろうかと考えてみる。はっきり言ってあまりにも昔の事なので覚えていないのだが学校に行かない子供の話は聞いた事が無い。むしろそれは自分である。一緒に集まって登校したことがない。学年が上になって班長のような存在になってもだ。朝礼にも遅れるしよく貧血で倒れたりした。すると用務員室で休んで横になっているとそのまま一日が終わると言ったこともあった。学校の授業も今と違ってのんびりしたもので午前中は山歩き、午後は川遊びで済ませるような事もあった。映画を観るときなどはそれだけで一日が終わってしまったような気がする。一生懸命勉強したような記憶が無いのだ。田舎の学校だったからかも知れない。いつからか帰省した時にこの辺でも学校に行かない子供や非行少年が出てきたという話を聞いた。どこかで何か変わった時期があるのだろう。そして先日孫の進学問題で何度か話をしたことがある。どんな勉強をしているのかみると残念ながら全くわからない。自分は当然勉強が出来る方ではなかったから当たり前のことなのだが勉強法が全く違うような気がした。仕方なく後は本人の努力次第ということになるのだが周りの子供の事を聞くと塾や習い事に定期的に行っていて部活もやっている。学校での授業はとにかく先生が黒板に書いたことをひたすら写すのだという。テストに出るのはここだと示すという。要するに教室で勉強を教えているといった感じではないようだ。私のようなあまり勉強が出来ない者でも頑張って働いていれば何とか生活が出来た時代はもうなくなっているのかも知れない。色々な場で詰め込まれた知識があっても実社会では非正規雇用であったり仕事を掛け持ちしたりしてなを生活困窮者やうつ病になって苦しんでしまうような例をよく聞く。忙しいスケジュールの合間にひたすらゲームに熱中している子供の姿を眺めていると無力感に襲われてしまう。「本とはたらく」矢萩多聞(河出書房新社)