2015年

10月

30日

古本屋の良心

 色々な店を見ていると店主によってやはり店の特徴が出ていて入りにくい店や本を買う気にならない店も当然のようにある。商売にしているのだからもう少し普通に接客してもらいたいなどと思ってしまう所もある。声をかけるのも躊躇われるような雰囲気を醸し出している所ではやはり本を買いにくい。それでよしとしているのなら仕方ないのだが、客としての自分はどうなのだろうと振り返ってしまったりする。秋は色々なイベントが多く、先日は折角頼んでチケットを入手したコンサートをすっかり忘れてしまい翌日に気がついた。これも仕方ない。少し落ち着いた生活を心がけなくてはならないと反省した。

 秋の恒例のイベントである神田古本まつりに行かなかった。やはり少し遠いので面倒くさいというのと本の数が多すぎるので疲れてしまうのである。合わせて様々なイベント企画があるのでこちらも疲れてしまうのだ。これは加齢によるものかも知れない。神田には本はいっぱいあるから、いつでもいける時に行けばいいと思ってしまう。またこの時期にはあちこちで本の即売会やイベントも多く開催されるので、そんなにあちこち行っても仕方ないということになる。

 そこで電車一本でいける池袋の西口公園で行われていた古本市に行ってみた。結構新しい店が参加しており、それなりに賑わっていた。時間をかけて各テントを見て回り、何冊かの本を購入することができた。ただ一つだけ残念なことがあり、帰りの車内は暗い気分で帰ってきた。古本購入の清算は各テントごとに行われていて、それぞれの店が会計を担当しているようだった。古い文庫本を何冊か購入した際にそこにいた店番の若い人は値札を思い切り破って取ったものだからページの一部まで切り取って破れてしまったのである。別の本はページそのものが2ページに渡って切り取られてしまっていた。後で気がついたものだったので仕方ないと思ったが、破れた本を売っているのではなく本を破いて売るということになる訳でこれはいくらなんでも酷いのではないかと思った。破れてしまいましたと言う訳でもなく隠すように袋に詰め込んでしまう、破れても古本だから構わないというのならなおさらである。実は本のカバーを破ったり、帯を切ってしまったりということを売る側で結構やってしまう場面を見ている。高い本なら決してそんなことはしないだろう。でも本の価値は売る側だけで勝手に決めるものでもないと思うし、本が好きで仕事をしているのならもっと大切に取り扱って欲しいと思う。ただ売れればいいという商売をしているのならこれも仕方ないことだ。

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2015年

10月

22日

古本屋を始めて思うこと

 とにかく営業時間はできるだけ守るようにしている。自分が経験したことだが店を訪ねても閉まっていた時の無力感は何とも言いようがない。したがって自分で決めた曜日と時間は開けるようにしている。それでもいつも開いていないと言われることがあったりするのでこれは頑張って続けていくしかないのだろう。一人で店番をしているので用事があって一時的に閉める時には張り紙をして出ていき、用事を済ませるとすぐさま引き返すのだが、だからと言って店の前で待っている人がいることは無い。またお客さんが来ないというのは実に難問で、要するにその間に何をすればいいのかということになる。何もやることが無い訳ではなく、全く自分のことをしていても構わないという訳でもないから、塩梅が難しい。

 最近本が売れないということはよく聞く言葉である。小さな新刊書店でも大きな書店でも古本屋でもそれは同様で、いくら本の数を多く揃えてもお客さんの欲しい本はなかなか要望通りにはならない。そうなると当然ネットで注文される人が多くなり、まして家まで配達してくれるので、多少値段が高くなるかもしれないが。その方が便利で確実に欲しい本が手に入る。古本屋には特に欲しい本があまりないということになる。

 古本屋は店にある本を買ってもらうしか術がなく、どこの店でもいかに安く多く本を仕入れるかで苦労するようだ。古書組合はどこの県にも有るので組合で開かれる仲間内の市場で取引したり、お客さんからの買い取りで本を調達する。でも思ったような本が手に入らないのが実情のようである。また売れない在庫をいつまでも抱えていても仕方ないので、値引きをする、ネットで販売する、古本市に出す、組合の市場に出す、それでも売れなければ廃棄となる。とにかく本を回すことを考えなくてはならない。これで商売するということは大変なことである。

 本屋にとって一番厄介なのはいま本が必要とされていないのではないかということだ。昔ほど本が売れないのは本を読まないのではなく本を買う必要がないからということではないか。図書館で借りる、アプリで読む、本屋で立ち読みするなど結局買うことをしない。昔あった貸本の方が良いシステムなのかもしれないとも思う。でも棚の数には限度があるし、一度読んだらそれで済んでしまう訳だからほとんど利益はないだろうと考えられる。

 さて、ここ12年、色々な他の古本屋を見学してきた。回ると不思議なことにどこの店にも必ずと言ってもいいほど同じ本が有る。これが結構目につく。売れそうな本と言うことで仕入れるのだろうが、棚に残っているということはあまり需要がないということなのか、でも皆さん不思議と持っている。結局ネット販売を中心に考えていけば必要だと言うことになりのか。これでは消えていく地方の本屋と同じことのような気がするのだがどうだろうか。限られたスペースの中で、やはり自分の好みで棚を構成していくしかないということになるのだがはたして現状はどうだろうか。


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2015年

10月

15日

本が売れないというけれど

  永江朗という人の「本が売れないというけれど」という本を読む。最近良く言われていることだが、それらを時系列にデータを示して再認識する内容である。2014年の本なので状況としては今もそれほど大きく変化していることはないと思われる。目次の見出しを読んでいくととても分かりやすい。まず「街から本屋が消えていく」というところから始まる。データで言うとここ15年で半減しているのだ。多くは地方の中小書店で、どうなったかというと駅前や街中の書店が消えて郊外型のショッピングセンター内に大型チェーン店ができるということになる。これは書店だけではなく小売店全体でも同様で、街の商店街がシャッター通りになっているのは全国どこでも見られる状態である。今はさらに大きなショッピングモールが次々と出来ているが、これも20年30年経てば大型廃墟となるのではないかと思う。

 次に「活字離れといわれても」ということになるのだが、データで見ると読書率はここ15年でほとんど変わらず横ばいである。要するに本が売れていないというのは書店と出版社の問題になる。出版点数は雑誌を中心にしてほぼ倍増であるにも関わらず、売上は変わらず増えていない。同じような本や雑誌が出ては消え、書店では棚に並びきれないという状態なのだ。そしてこの時期に出てくるのがブックオフとアマゾンである。本は新刊ではなく中古で買い、書店ではなくネットで買うということになる。加えて、私の周囲でも図書館で借りて読んでいる人が多いが、本を持たない、家に置かない人が増えているのであり、本を読まない人が増えているということではない。

 こうした状況を見ると確かに本は売れない訳だが、ではどうしたらいのかという提言もなされている。出版制度や書籍販売の見直しや新しい書店像を提示しているが、まだ大きな変化が出てきていないのは業界全体の危機感がそれほどでもないということなのだろうか。最近出てきているひとり出版社やブックカフェ、ギャラリー、一箱古本市など、実際に運営している若い人達の方が大きな可能性を持っているような気がする。一つだけ気になった言葉を上げれば、売れているものにはずれはないだろうという考えもあるが、他人の嗜好で自分の行動を決めていることに変わりはない、というものだった。


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2015年

10月

08日

力のチカラ

 理想的とも言えるかも知れない。7月でアルバイトを辞めてから売れない古本屋の店番だけで一日が終わる日常になった。朝早いアルバイトでは午後は眠くなり、おまけに一日が長いので身体はかなり疲れていた。今も朝は早く起きる習慣は続いているが、店では本を読む余裕が出来た。今の悩みは本が売れないことと良い本に巡り合わないことだが、それでも本を読みながらゆっくりとした時間を過ごすことと引き換えなので仕方ないことなのかも知れない。

 日曜日の新聞には各紙本の書評が掲載されている。新刊本の紹介なので、仕事を辞めた今そうそう買うことも出来ないので記事を読むだけだ。面白そうな紹介文があれば切り取っておいてリストを作っている。これは拾った週刊誌の書評欄も同様である。その内に古本屋に出回ってくるようになり、安く手に入るようになったら買えばいいと思っている。実際そうして何冊かは買っている。今となっては急ぐ理由も時間も必要ない。読む本は余っている。

 これらの本の紹介記事はこれでなかなか独特の文章力が必要で、つい今すぐにでも買って読みたくなる気にさせるものもあれば途中で興味を失わせるものもある。著者が喜ぶようなことも入れてみたりと色々工夫されている。最終的には売れなくては困る訳で、できれば早い段階で古本屋にまで回ってくるのが望ましい。

 最近の文で気に入ったのは、沖縄で「市場の古本屋ウララ」という店をやっている宇田智子さんの文章で、「本が一冊売れるたびに、やっぱり本には力があるのだと信じたくなる」というものだった。紹介しているのは「ハーレムの闘う本屋・ルイズ・ミショーの生涯」という本である。これはまだまだ値段が下がらないようだ。もう一つは毎日新聞のインタビュー記事で、中澤雄大という署名入りで「評伝石川啄木」を紹介している。見出しが「日記が持つ肉声の力」。日記文学を評価しつつ、事実を書きたいという著者の言葉を引き出している。落ちは、「記憶力が自慢で自分の日記はつけなかった」で、「年をとって忘れることを覚えました」という締めである。この二つの「力」は上手いなと思う。

 

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