2016年

1月

28日

書評の効果

 

 毎週日曜日に新聞の書評欄に目を通している。基本的に新刊書籍の紹介評なので実際にはすぐ購入するということはなく、読んでみようかという本をチェックする程度になる。家族全員が読み終わり、切り抜きが終わった段階で書評欄だけ私が抜き取る。いくつか溜まった段階で気に入った部分をスクラップしておく。そのうちに古本で安く買えるようになって、その時にまだ読んでみたいという気持ちがあったら買うかも知れない。

 そんな感じで、まさに一読する程度なのだが、先週は見出しを見て購入しても良いかなと思った本があった。しかし、書評を読んだら買う気が無くなってしまった。書評はある程度食欲をそそる文章でないとその意味がないと思うのだが、今回はまったく逆で読んだら食欲がなくなったという事態になってしまった。

 評者は自分でも本を出している人で、それも少し前にかなり話題になった本である。以前勤めていた会社では、ほぼ全員が勧められて読んでいた。今回紹介している本も関連する内容でそれなりに興味を持ったのだ。だが何といっても書評の内容がよくわからない。本の内容を全部紹介する必要はないが、何が言いたいのかわからない。全体的に文章表現が難しくて、この本に何が書かれているかの紹介も曖昧、最後まで例え話でしめくくられている。現代の社会状況に対する自分の思いを語るより、この本が社会にどう切り込んでいるのかを語って欲しかった。という訳で残念ながらこの本は買いませんが、書評としては効果的であると評価してもいいのだろうか。

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2016年

1月

22日

あせらずコツコツ

 少しずつ店の本を整理している。一方で自分の好きな読みたい本を買い集めている。最終的には全体の本が入れ替わって自分のイメージしている店が出来上がる筈である。これはあくまでも予定していることなので実際はそのバランスが違ってしまっているのは仕方がない。本を並べていれば売れるし、ほしい本だけが入ってくるというわけでもないが、ゆっくりとその最終イメージに向かって進んでいると思っていただきたい。

 古本屋を初めてからこの間にいろいろな人と知り合いになり、それに伴う交際も少しずつ増えている。自分自身の興味の範囲でしか付き合えないが、それでも結構色々出る機会が増えているし、一緒に何かやりたいと思うこともあり、こちらも広がりがあると同時にすべてに関わっていくこともできずに悩ましい限りである。店を使ってできることがあればそれでもいいと思う。

 年齢を重ねて自分で何でもやれるということもない訳で、少しずつ自分の守備範囲で機会をつくっていくしかないということだろう。そう考えてゆっくりと取り組んでいる。この地には以前から色々な人たちが活動をしてきた歴史があるなと思っているし、今この場所で自分が何かできるのもありがたいことだと思う。ということはもう少し頑張ってみてもいいのかなということだろう。ただし残された時間をそんなに急ぐつもりはないと自戒しながら本を読み続けている。

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2016年

1月

18日

偶然の確率

 特別にくじ運が良いという訳ではないのだが、自分の人生はほとんど流れに任せて生きてきたのでそれで今こうして生きていられるのは申し訳ないくらいに運が良いのかなと思っている。何をやるにも人様より先にやらなくては気が済まないという性格でもなく、残りものや与えられた環境の中で自分の好きなことや自分がやればいいのかなと思うことをしているだけなのだ。でも普通の生活が出来ているし、他人が見たらどうかはわからないがそんなに苦労をしてきたという気もしない。いつもそれでいいと思って生きているから残り少ない時間もこのままで行きたいと考えている。

 割と自然に今の生活が維持されているので、もしかしたら自分は運の良い方なのかも知れないと最近は思っている。そしてそれは自分がこうしたいとあがいている訳ではなく全てそれは偶然の結果なのだ。大きな転機があったとしたら確かに他人からはそのように見えるかも知れないが自分はそんなに無理をしたり、頑張った訳でもないので自覚はない。それらの結果はそれほど悪くはなかったし、むしろ良かったと思われているのかもしれない。今まで色々な場面で偶然に結果が良い方になっているようであるから、自分はこの偶然という確率だけが高いのかも知れない。それを過信してこれから生きて行く訳でもないので、終わるときにデータを調べてみるか、もしかしたらこれからはずっと悪いことばかりが残っていて続いて行くのかもしれない。

 でも確かに場面場面で偶然ということが多い。そのひとつを紹介すると今の店を始めたのは自分の周りで定年になったら古本屋のおやじでもやって本を好きなだけ読もうなどと言う人が結構いたのだが、さてその年齢になっても誰も古本屋を始めましたなどと言う連絡が来ない。ならば自分でやってみようかと思っただけこと、東松山で始めたのもここで働いていたということだけのこと、今の場所もその職場で知り合った人の持ち物だったということ、備品も自宅の建設会社の職人が作ってくれたもの、当初の市の補助も職場の人が近所にいて教えてくれたものだった。店を始めたら色々な人が皆さん知り合いであったり、○○ツアー氏が来たりという状態だった。一番の驚きはお客さんの中に私が以前に勤めていた会社の人がいたことで、なんと40年以上も前のことで偶然とは恐ろしいというか信じられない。はたしてこれからもまだこんなことが続くのだろうか。

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2016年

1月

14日

本を読む

 年末年始と定休日に合わせて連休となったので今まで行った店でもう一度行きたかった店を再度訪問した。また年明けは近くを走っている八高線を利用して八王子と高崎まで出かけた。ローカル線なのでとにかく時間がかかる。のんびりと倍の時間をかけて穏やかな日差しの中を電車が走っていく。乗客のほとんどは眠っていたが、自分もやはり寝てしまった。そして久しぶりの骨董市と故郷へと結構休むことなく出かけていた。今年は本当に暖かくて家にいるときは精力的に読書の時間となった。

 読んでから売るというのが基本だからとにかく読もうと思っている本がだんだんと増えてしまって読書が追いつかない状態だった。少しだけ消化したがまだまだ読もうと積んである本が多い。加えて今は図書館に通いながら郷土の人たちが出した本を調べているが、これが結構あって時間を摂られている。店に郷土の文人たちの本を置きたいと思っている。せっかく縁あってこの地に在るのだからとあちこち歩くなかでそれらも揃えている。地元近辺の本屋にはまだまだ隠れている郷土本がありそうなのだが、値段も結構するのでこれもなかなか追いつかない。

 そんな中でひたすら読書を消化している。本を読み、読んだ中で気になったことを調べ、類書を探し、入手したものをまた読む。特別に体系だった読み方をしていないのでかなり乱雑な読書になるが、読もうとする本が増えて行く気配があり、生涯かけても読み終わることがあるのだろうかという状況だ。

 

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