2017年

9月

24日

未解決事件を追う

 今読んでいる本が面白くて少しメモを取ろうとしているため終わらないのでその合間にこちらを読んでいた。元々未解決事件などののノンフィクションやドキュメンタリーが好きで書店で見かけるとつい買ってしまう。その類の本も待機している本が何冊かあるのでなかなか読み終わらないでいる。日航機が上野村に墜落してからもう33年も経っているのだそうだ。週刊誌などでたまに当時の生存者の記事が紹介されることがある。大量の死者が出たにもかかわらず何となくすっきりしない印象がある。毎年慰霊の登山がテレビなどで紹介されるが遺族が高齢化するとどうなるのだろうか。筆者は元日航の客室乗務員で以前にもこの事故の本を出している。今回は「事故ではなく事件か」という帯文にあるようにかなり踏み込んだ内容になっている。しかし客観的事実を揃えていてもまだ何も断定することは出来ない。何しろ自衛隊やアメリカが出てくるのだから国としては事件ではなく事故としてすでに終わったこととして処理するしかないのだろう。当時自分の実家のあたりに墜落するのではないかとニュースを聞いていたことが思い出される。「日航123便墜落の新事実」青山秀子(河出書房新社)

 もう一冊は書店で衝動買いした件の本屋の本、色々な古本屋を紹介したものでやはり何となく買ってしまう訳である。「日刊ゲンダイ」に連載されていたそうだが読んでいなかった。人は何故古本屋を始めるのかと言うことに興味を持って読んでいる。特に今風の若い人が何を思って古本屋なのかという部分には関心がある。「すごい古書店変な図書館」井上理津子(祥伝社)

0 コメント

2017年

9月

15日

古本と少年

 つげ義春氏に「古本と少女」という作品がある。内容は古本屋の店番をしている少女が、本を買いたいがお金がない少年のために手紙とお金を挟み込んで買ってもらうようにするという話である。その本は別の人に買われてしまうのであるが、後日買った人から少女の手紙とともに送られてくる。何ともほほえましい作品である。この作品は貸本漫画で発表されたものを雑誌「ガロ」で描き直しているようにそれなりに思い入れのある作品のようだ。

 先日店に男子高校生がやってきた。彼は二冊の文庫本をレジまで持ってきたが、一冊には当店では珍しく400円の値が付けられていた。彼は「考えさせて下さい」と言ってしばらく棚を見ていたが別の本を買っていった。彼が帰った後、それほど読みたいのなら何故100円で売ってやらなかったか。何故こんな古本屋をやっているのか。私は後悔して自分を恥じてしまった。そんな想いを抱えていた。

 二日後に彼はもう一度来店した。堂々と迷うことなくその本を取り、私に差し出した。今更値引きする訳にも出来ずに買ってもらったが、「お母さんからお金が貰えたので買いに来ました」と言って嬉しそうに帰って行った。ホッとして安心し、懐かしい漫画作品を思い出した。その本が彼にとって意味のあるものになればと思う。手元に無くなってしまったので記憶に頼ればその本はサン・テクジュべリの「人間の土地」だっただろうか。

0 コメント

2017年

9月

09日

恥を知る

 最近には珍しく前回行ったことのある古本屋を訪問した。連絡してから来て下さいと言われたのだが行ってみたら開いていた。店内は相変わらず本が崩れて奥の本は見られなかったのだが、何冊かの本を買って帰ろうとしたら店主から声をかけられた。私の買った本の中に何冊かの詩集が入っていたせいかもしれないが、車の中に詩集がいっぱいあるのだが見ないかと言うことだった。店の前に止められた車の中には大量の本が積まれており、そのうちのいくつかの束は詩集の山であった。ちらっと見ると私の欲しかった詩集と知り合いの詩人の詩集があったのでこれらを全部譲ってほしいと言ってしまった。じっくりと見ると詩集の束はかなりの量があり、全部を合わせると300冊を超えるものであった。古本好きの業とはいえ、結局それらを全部買い取ってしまった。合計ではかなりの金額になり、後で後悔するばかりだった。

 私も詩の同人誌を出している。その後記で世に星の数ほどある同人誌と言うことを書いたことがある。当然のように世に詩人の数は同人誌の何倍かはいるであろう。その人たちが詩集を出せば世に詩集の数はさらに何倍かの数になる計算になる。私も過去に一冊の詩集を出したことがある。図々しくもその詩集を色々な人に勝手に送りつけて感想などを送って貰ったことがある。私の買ったその詩集の山はほとんど私が名前を知らない詩人のものだった。何故こんなに大量の詩集が古本屋の倉庫に眠っているのかと考えると何だか過去の私の行いに顔が赤らんでくるような気持ちになってしまった。これらの詩集とわたしの出したものとではレベルの違いは明らかでさらに追い打ちをかけられるようだ。今私の手元にある大量の詩集を毎日少しずつ綺麗に清掃をしているが、何だか複雑な気持ちになっている。

0 コメント

2017年

9月

03日

また宗教本を読む

 以前に読んだ「禅と福音」という本は牧師と僧侶の対談だったが、その本が面白くて関連する本を何冊か買って置いた。そんな本が結構置いてあってなかなか読めないのだが、同じ人の本が新刊書店に並んでいたのでつい買ってしまった。筆者は早稲田大学を出て民間会社から仏門に入った。現在は恐山にある寺の住職代理ということで日々の様子を本にしたものである。仏教について書かれたものではなく恐山とは何かという形式で書かれている。語り口調での文章なのでこれを生で聞いたら面白いだろうと思う。

 経歴では永平寺で20年の修行生活をした後に恐山へとあるが、本の後半部分ではその経過が書かれており、それもまた筆者のことが良くわかり興味を抱かせるものがある。普通はそんなに永く修行している僧はいないらしい。と言うか辛くて逃げ出す位の生活である。そこで修行をして自分の寺に戻るというような例が多いらしいのだが、対談本の中で明らかになっているように筆者は仏教を極めようとして入門しているのであることから何年いても本人は構わないのである。最後は指導者的立場にいるので流石に居場所がない感じはあったようだ。

 一般的に言うと「お坊さんらしくない」と言われるらしいが、同僚から「君には信仰がないね」と言われて認めてしまう所も見事と思ってしまう。自らも悩みながら仏教とは何かを追及していく所を素直に語っている。分かりやすい文章で自分自身の疑問も合わせて宗教を解析していく。著書も多く次を読んでみたいと思った。この本が書かれたのが2010年で、発行が2012年である。その間に東日本大震災があった。長いあとがきには自身の在り方も含めて宗教が震災や死にどう立ち向かうのかが書かれている。現代社会に対する批判ではなく「311は始まりにすぎない」という問題提起として正しいと思う。「恐山」南直哉(新潮新書)

0 コメント

2017年

9月

01日

社会的事業と新公共スタイル(4)

  前に勤めていた所はちょっと変わった会社で協同組合組織だった。自分で出資して運営にも参加するという建て前で毎月積立金を引かれていた。以前に生協に入っていたこともあったがそれに似ている。そこで私はかなり自由な立場で仕事をやらせてもらっていた。職場には一応自分の机とパソコンが置かれ勤務時間も指示されていたが、出勤時間は特に拘らず仕事も自分のスケジュールも自己管理だった。給料は安かったが交通費は全部出して貰えた。あまり精算を怠ると高額になるので週に一回位は思い出しながら交通費の計算をしていた。最初は何をしたらいいのかという日々だったが、周囲の事情が理解できてくるとだんだんと仕事が増えて休みがなかなか取れなくなってきた。それから本当に自主管理という形になり、自分のできる仕事を自分で考えてやっていくことになった。

 主な仕事はこの会社組織の在り様についての法的制度化だった。それまでの経過は使用していたパソコンに情報が入っていたので最初はそれを読んでいく日々だった。仕事起こしの協同組合というのが入った時に聞いた新鮮な言葉だった。その制度は自分で出資して働き運営していくということだったが、実際に働く現場はなかなか経営的には厳しい環境であった。これは生協などがやっているものも同じで実情は最低賃金の確保も難しいような労働環境があり、NPO法人を設立する事業所もある。その制度化は議員などに陳情したり、集会を開催しアピールしたりと多岐に渡る運動を展開していたのだが未だに実現していない。

 資料的に著名な人の本を読み講演会をなどを企画したり、交流組織を作ったりと様々な現場を見ていく中で社会的な有効性はあるということも理解出来て来た。ただ法律を制定するということが極めて政治的な問題であるということでもあり今後のことを考えると実際の事業所を多く作っていくことが必要なのかも知れないと思っている。これは現実にはかなりの数が実在しているのだが、さらに根気よく事例を積み上げていくという努力が求められているというのが現実なのだろうか。

0 コメント