2019年

8月

23日

病院読書

 最近不定期ではあるが病院に行く回数が多くなっている。近くの総合病院に行くことが多いのだが、混んでいるので受付時間のぎりぎりに入るようにしている。信じられないことに、受付開始が8時15分からで診察開始が9時からなのに、朝6時ころには患者さんが並び始める。受付開始から順次それぞれの診察室の前に移動してそこでまたひたすら待っていることになる。大体ほとんどの患者さんは高齢者なので、車で家族に送られてきて病院に置いていかれるような感じになるのだ。その上、毎週のように来ている人達が多いようで、知り合いでおしゃべりしながら待っているのだ。

 受付時間の締め切りが決まっているので、いつもはその時間に間に合うように行って最後の方で診てもらう。こうすれば待ち時間が少なくて診てもらえる。だが店の開店もあるので、最近は中途半端な時間を見計らって受付を済ませるのだがやはり待ち時間は長い。2時間位はかかるのが普通なので、新聞を買って、雑誌を買って、読み終えてから持参した本を読み始めるのだ。集中して読めば一冊は読み終える。読むのに夢中になっていても診察の時になれば看護師さんが呼びに来てくれるので安心して読める。問題は読み終えてしまって手持無沙汰になってしまう時だ。

 今日は適当に本棚から抜き出した本を持って行って本を読み終えてしまった。詩の評論だったが買ったがなかなか読めなかったので、時間をかけて読める機会にはちょうどいい本だった。詩作品の引用が多かったので早く読もうと思ったら読み終えるが、折角なのでじっくりと読み終えた。詩集はけっこう読んでいるが実作はもうやめてもいいかなと思っている。詩の世界も古典的なものから最近はますます広がりを見せている。読むのも大変なので最近はこんな詩集評や評論を読むようになっている。こうして集中して読めるのは有難いことだ。当然のように診察時間はすぐ終わるので読後の始末もスムーズだ。「詩の現在を読む」山田兼士(澪標)

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2019年

8月

18日

哀しい読後感

ここ何年かテレビなどで話題になるので芥川賞受賞作品をいくつか読んでいる。今回もテレビのニュースで見て書店に行った際に棚に並んでいるのを見た。不思議なことに受賞が決まると書店には一斉に受賞作品を掲載した単行本が積み上げられる。違う作品だったとしても同様で、すでに候補作に上がった段階で各書店には本が届けられているのだろう。

今回作者の受賞の言葉や周辺の話を聞いたら何だか気になって読んでみたくなっていたのだ。だが何日か待てば掲載作品が載った雑誌が発売になるのだからと思って買うのは我慢した。しかし何か田の作品を読んでみたいと思って文庫本で探してみた。棚を探してみたら何とちくま文庫でデビュー作品が出ていた。帯を見ると太宰治賞と三島由紀夫賞を受賞しているという。文庫本には三作が収録されていたが、表題の「こちらあみ子」という作品が良かった。

何故この人の作品を読みたかったのか。本人の受賞の言葉にアルバイトをやりながら暇な時に明日は来なくていいと言われた時、自分は社会に必要とされていないのではないか思い小説を書こうと決めたと書かれていたからだ。最近の芥川賞受賞作品の中では最も気になっていたのが「コンビニ人間」だった。読んでもいないのにこの作品と同じような内容なのではないかという印象を受けたのだ。

読んだ作品の中の家族構成は複雑でそれぞれが病んでいる。周辺の人間関係はとても上手く描かれていて昔の田舎の風景や人の優しさが読み取れる。だが「コンビニ人間」もそうだったが、狭い人間関係の中に現代社会の縮図がいくつも押し込められているのだ。ラストに何の救いもないと言ってしまうとどうしようもない。そこから明るい兆しを読者が見つけることが必要なのだ。

色々なニュースを見ていると本当に今の世の中は生きづらいのだと感じる。それは自分の今の状況も同じである。いつ逆の立場に変質してしまうかわからない危険を感じるがかろうじて踏みとどまっている状況だ。これらの作品がどう評価されていくのだろうか。

今日掲載作品が載っている雑誌を買ってきたがまだ読んでいない。これから読む。選評の他に選考委員の一人が辞めたのでその人の文が載っている。ここ数年の選考で「コンビニ人間」が理解できなかったことが辞任の出発になっていると言う。「こちらあみ子」今村夏子(ちくま文庫)

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2019年

8月

08日

翻訳について

小さい頃には何の疑問も抵抗もなくただ面白く読んでいた外国文学だったがお客さんからこの人の訳で出ているはずだから探してもらいたいと言われるとそういえば訳者によって何らかの違いが出てくるものだと思うようになった。店にも当然のように外国文学などもあるがそんなにこだわってはいなかった。難しい部分はわからないので好きな歌の訳詞をいくつか並べて比較してみたらこれが全く違う歌になってしまいそうな感じだった。意訳というのか異訳と言えばいいのかかなり冒険的な訳をするという人がいることなどもわかった。だからと言ってそんなにこだわって色々な訳者の作品を比較して読むことなどできないし詳細な違いがわかる訳ではない。お客さんがこの人の訳で探しているという本もなかなか見つからないまま過ぎてしまったのだがノーベル賞の発表の時期に村上春樹氏の作品について読んだことからこの本を読んだ。東大文学部の翻訳演習という授業で行われた内容をそのまままとめた本である。この授業の特別講師が村上春樹氏であり授業の講師である柴田元幸氏とは組んで仕事もしているらしい。内容はいくつかの作品を学生たちが訳したものをみんなで合評するというものである。これが面白い。翻訳がこういうものだったのかというのが理解できるようになっている。さすがに東大の学生たちの翻訳も素晴らしくて講師も納得する場面もある。原文も掲載されているので面白く読める。最近書店でこの人の新刊本を見たがもしかして人気があるのだろうか。まだ買ってはいない。「翻訳教室」柴田元幸(朝日文庫)

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