2018年

4月

27日

暗い時代なのか

 しばらく乱読が続いていてまともに本を読んでいないような気がする。面白そうな本だと思うとパラパラと捲って拾い読みや浅い斜め読みばかりで読んだ気になっている。なるべく最後まで読めるようにと思っているのだが読み始めた本が読みにくいので時間がかかっているのだ。何人かの人物を紹介しているので、その内の一人が面白い人物だと思って読み始めた。そうしたら何だかわからないが読みにくいのである。文章のせいなのか誌面の構成のためなのかとにかくなかなか先に進まないので困った。とりあえず気になる人物の所だけは読み終えて後は少しずつ読んでいる。文中に紹介されている別の本も読みながらゆっくりと進んでいる。私がよみにくいと言っている本の中で著者が紹介している本がやや読みにくいと言っているのも面白い。興味を持ったのは斎藤雷太郎と立野正一と「土曜日」人々と喫茶店「フランソア」だ。この本全体が戦争に至る時代や戦時に生きたそれぞれに個性的な人を紹介している。昨年と一昨年に市内に住むという保阪正康氏の講演会と学習会に取り組んできた。その中で保阪氏曰く今の時代が当時によく似ていると言うのだ。私は戦後の戦争を知らない世代なのでその戦争へと向かう当時の様子は全くわからない。が最近よく聞く言葉だ。いくら人生100年時代がきたと国が言っても後何年かしたら戦争を実際に体験した人たちはいなくなってしまう。これは新たな戦前なのだと言われても誰にもわからないだろう。「暗い時代の人々」森まゆみ(亜紀書房)、「幻のスタヂオ通信へ」伊藤俊也(れんが書房)

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2018年

4月

15日

社会的事業と新公共スタイル5

 先日久しぶりに以前に勤めていた団体の集会に行って来た。事業所は地元にあり、その職場で働いている人がチラシを持ってきたのだ。今度は全員参加ですと言うことだったので行ってみることにした。集会の内容は自分が事務局として働いていたことだったので現状はどうなっているのかも気になる所だ。集会全体は前と変わらず同じことをやっているように感じたし、法律の制定も進んでいないようだった。それでも埼玉でまだ集会が開催できるだけのエネルギーがあることには感心する。この制度化の運動はすでに20年近くも続いているのだからその持続する意志の力はすごいと思う。ただ法制度のことなので実務的には国会での動きが重要でそこが依然として同じようなことを繰り返しているようなのでなかなか難しいのかなと印象を受けた。このテーマで何回か書いているように私のような高齢者や社会的に様々な立場で苦労している人達が新しい事業に取り組める制度の構築を考えている。社会的にも大きな会社の倒産や合併が行われてリストラや組織の見直し、労働者の意識の変化や雇用の在り方が変わっていく中で新しい働き方があっても良いのではないかと思っている。そんなことを一つの形に出来ればと考えていたら国の政策で働き方改革などと言うものが出てきて、働く者にとってあまり良くない方向に向かっているような気がするのだ。以前も同様の動きがあって国が本来やるべきことを民間でやるようにするとどうしても官僚的な動きに丸め込まれてしまうような気がするのだ。今取り組んでいるのは法人化して起業すると言うことだ。以前はNPO団体の法人化で運動していたが、結局これも実務的な部分で国の政策に取り込まれてしまった。今回も同じような形になってきているのが気になる所である。

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2018年

4月

07日

過去を探すこと

 古本屋の片隅で自分の好きな本を読みながら文章を書いたりしているとだんだんと見えてくるものがある。どんな本を読んでいるのかという部分では積極的に周囲の意見を取り入れて様々なものを読むようにしている。どんな棚にするのかという部分ではやはり自分の好みが優先していく。何度も同じ本を買ってしまうというのもそういうことの一環である。今はある程度店の棚の数で済ませるようにしているので丁寧に見ていけば書斎のごとく見渡せることになる。すると何が見えてくるのかというと自分が並べている本が昔の読んでいたものや読みたかったものであるということになっていることである。本を読みながら調べていくと読めなかったものが出てくるし関連するものが出てくるのでそういう本が集まってくるようになる。すでに音楽の類は処分してしまったので残ったいるのは買い取りで入ってきたものだけになっている。よく読んだ漫画類も現在処分している最中である。後は本を読み終えていけば全て処分できるようになる。

 最近は歳を取ったので昔のことをよく思い出すことがある。夜中に目覚めて今見た夢のことなどを考えてしまうことがある。すると胸が苦しくなり自分の人生は何だったのかという大きなテーマに悩まされてしまうこともある。朝目覚めるとまた別の自分になっていてそんなことは忘れてあまり考えないようにもしている。だが古い自分の思い出に関わる本や懐かしい場面を連想させる本などを知らないうちに集めてしまっているような気がする。懐かしさとともに恥ずかしい想い出や息苦しさも引きずりながら想い出を読んでいるのかも知れない。そんなことが今までずっと続いているような気がする。東京に出てきた時は田舎の家から解放された開放感のようなものを感じた。自分の好きなことができると思っていたがその後はただ孤独だったような気がする。そんな若い頃の思い出と当時夢中になっていたフォークソングのことなどを考えた。「高められたはなしことば」片桐ユズル(矢立出版)

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