2020年

4月

30日

社会的事業と新公共スタイル再び

やっと読み終えたという感じである。家に持ち帰って少しずつ読んでいたのだがかなり苦しんでしまった。400ページを超えるほんなので一気読みという訳にはいかなかったのだ。だが読むたびに同じところを読んでいるような気がして悩んでしまった。高齢者だけを採用している会社の話である。ドキュメント映画も作られたそうで100歳を超える人も働いている。年金生活者をパートで雇用しているので社会保険などはないが自由労働で好きな時間だけ働いている。著者はそこで実際に働いて取材をしてこの会社を紹介しているのだ。当然一部には労働者を搾取しているという評価もあるのだが従業員はそれなりに働くことで社会とつながっているという思いがある。実体験でもそんな会社にいたこともあるので興味をもって読んでみたのだが苦しんでしまった。だがこのテーマはもう少し読んでみたいと思っている。「高齢者が働くということ」ケイトリン・リンチ(ダイヤモンド社)

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2020年

4月

14日

地味にこつこつと

 ネットで日本の古本屋というサイトを見るとその中にメールマガジンのバックナンバーが掲載されている。定期的に書かれているのか古本マニアを紹介する文章がある。最近の記事に紹介されていたのは以前店にやってきたお客さんだった。すでに十回を超えた連載になっていて色々な人がいるものだと感心する。そんな古本屋巡りをする人や本の好きな人を紹介している中にあった矢部登さんという人の記事が面白そうなので本を注文した。折角なので日本の古本屋で探してみたら何冊か出てきたが、あまり高価な本は買えないのでとりあえず入手可能なものを頼んでみた。好きな作家について書き綴った原稿を個人的に冊子にまとめたものを出しているという。その第一号である。いかにもミニコミ的な体裁だがきちんとした造りで人柄がにじみ出てくるような冊子である。もう一冊はそれらの文章を集めてまとめた本である。これも凝った体裁で一人の作家について何年もかけて書き続けてきたものをまとめた本の好きな人が出した一冊という感じである。同じ同人誌に所属したという縁で知り合えた人だという。こんな風に作家を追いかけて文章をまとめていく作業も大切なことだ。つい色々なことに目を取られてあちこちの本を読み流していることを反省する。「結城信一「鎮魂曲」の前後」矢部登(私家版)、「結城信一抄」矢部登(紫陽社)

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2020年

4月

08日

誰が誰に言っている

いつものように郷土の本を探していたら以前は見つからなかった地元の詩人の本が出てきた。不思議なもので何冊も出て来たので取り敢えず二冊を買ってみた。一冊は何と遺作集でこの詩人の活動内容がかなり詳しくわかってきた。著作の一覧を見ると何冊もの本を出している事もわかった。今となってはこれらのうち何冊が入手可能なのだろうか。以前に買っていた詩集と合わせて未だ三冊しか持っていないのだから貴重な本となる。今回買った二冊の本に置き忘れたであろう挟み込みの文書が入っていた。遺作集には謹呈のしおりと著者からの年賀状が入っていた。遺作集であることから本人からの献呈本ではないだろう。詩集には母親宛ての私信が入っていた。果たして誰の手元から古本屋に渡ったものなのかは分からないが悲しい内容であった。古本には未だこうした不思議な事が起こる事がある。「金子恵美子遺作集」「褐色の長い道」

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2020年

3月

27日

多くの時間を一人で過ごす

新型コロナウイルスの感染流行のニュースだけではなく外出を自粛して家で過ごす事について考えてみた。そう言えば店は開けてもお客さんが来ない時間が多いと言うかほとんどであるので正に引きこもっているような状態なのだ。だからと言ってそんなに暇を持て余している訳ではなく何かしらのやるべきことを見つけては日常を過ごしているのだ。思い出して見ると自分の小さい頃には学校に行くことや友だちと遊ぶことの合間に家の仕事を手伝ったりしていたが結構一人で本を読んでいる時間があった事を思い出した。今の子供より時間的にはもっと余裕があったように思うがそれでも結構忙しかったのではないか。そんな中で一番時間を使っていたのはやはり本を読むことだったのだろう。すぐに目が悪くなり眼鏡が必要になっても更に読む事に時間を取られていたような気がする。何でも良かったのだが残念なのは貸本をそれほど利用していなかったことだ。貸本屋の存在に気がついた頃にはもう雑誌の時代になっていてそれほど借りる機会は無かった。それでも最後の頃に少しだけ利用した事があったがすぐに小遣いをためて雑誌を買うようになってしまった。農家の子供なので地域的な問題もあったのかもしれないが読むものは何でも良かったようにも思う。新聞も読んでいたし読み物に飢えていたのだろうか。この本の中に出てくるような体験が無かったのが残念な気もする。「ぼくらの時代には貸本屋があった」菊池仁(新人物往来社)

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2020年

3月

20日

ふるさと文化舎

先日来店されたお客さんからいらなくなった本が家の中にいっぱいあるのだがどうしたらいいのか相談したいと言われた。取り敢えずどんな本がどれだけあるのか見せて貰う事にして家に行った所家一軒が事務所でありそこに多くの本が積み上げられていた。聞くとそこは今は使っていない事務所で以前はそこで作業をしたりしていたようだった。ほとんど整理されていない状態だったので少し整理を手伝う事にして別の日に出かけてお客さんと二人で本の片づけを始めた。ほぼ半日をかけて何とか一部屋が片付いて何となく居場所が出来たような感じになった。それまでは足の踏み場所も無い状態だったのだから結構片付いたと思う。そして片付けた一部屋分を取り敢えず古本屋さんに売ってもらってその後に又別の部屋を整理したらどうかと提案した。以前は地元のNPO団体の事務所として活動していたと言う事で貴重な資料となる本が結構あるのだがまだ捨てられないものもあると言う事なので少しずつ別の場所に運んで残しておきたいという。片付けながら見つけた一冊の本を買ってきたがそれは店にある本の言わば初版のようなものであった。地元や近隣の様々な人が原稿を書きまとめたものである。この地域には有名な人物も多くそれぞれが有数の書き手である。また地元の出版社から本を出していたりするのである。皆さん立派な業績を残している人物である。中に出てくる出版物を調べてみたが当然のように今は入手できない本がほとんどであった。もしかしたらそのまま捨てられてしまったかも知れない事を思うと何とか残して見られるようにしたいものだと改めて思う。「比企丘陵・風土と文化」(同刊行会)

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2020年

3月

11日

新鮮な気持ちで

いつだったか地元に住んでいる詩人の方から新しい詩集を戴いた事があった。勿論すぐに読ませてもらって簡単な礼状を出した。その人の本は何冊か店にも置いてあるのだが少しずつ売れてしまうので再度仕入れては並べている。その中に自伝的な本が一冊あり既に売れてしまって在庫が無かったのだがネットで見つけたので入手しておいた。そのまま暫く棚に差していたのだが読んだ事が無かったので最近読んでみた。自伝的な本なのでその人が当地で苦労して子育てをしながら様々な運動に関わってきた事が分かった。同時にその人が言った言葉が読みながら納得できた。古本屋をしていると色々な人と知り合いになり色々な話の中からその人間関係も見えてくる。その中から今回のように改めて分かってくる事があるのも面白い。店では郷土出身の作家の本も収集している。文学作品を中心にしているのだが色々な人が知られずに活躍しているものだと感心する。調べるとこれが結構見つかるのだ。同時に当時の人間関係も見えてくるのでお客さんの話と合わせて意外な事が分かってくる。人間関係は別として出された本は貴重な資料でもありこれからも少しずつ集めていきたいと思っている。さて本の中には自分の子供の詩を紹介している部分があった。以前に店に来た時に聞いた事のある名前だった。そしてその名前を手元にある別の同人誌でも見かけたので探して購入してみたらどうも同じ人の様であった。名前は記憶があったが作品は初めて読んだので新鮮な気持ちで読む事が出来た。詩人の作品は別の詩集も出されているようなのでそれも注文した。もしかしたらここからまた別の発見があるのかも知れないと思う。「天窓」くりはらすなを(七月堂)

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2020年

2月

27日

難しい本

何が原因なのかと考えてしまいそうだが現在読書が進んでいない。家には何冊かの本を置いていつでも何かを読めるような体制にしているのだがなかなか読み進まない。好きな宗教家の本屋興味の湧きそうな仕事の本を並べているのだがどれも途中までで止まっている。その中の一つに翻訳本がある。昨年よく読まれた本として色々な人が上げている本である。書評でも評判が良いので読んでみようと年末に買っておいたものである。年が明けてから読み始めたのだがこれもまたなかなか読み進まない。翻訳ものが好きではないということはないので何か合わない何かがあるのだろうと思われる。短編集なのでそんなに時間はかからないだろうと思っていたのに未だ半分も進んでいないという残念な状況になっている。原文が読めないのでなかなか言葉の使い方になれないのかも知れない。とにかくもう少し頑張ってみようと思う。「掃除婦のための手引き書」ルシア・ベルリン(講談社)

2020年

2月

05日

覚えておきたいこと

 店のお客さんから色々な事を教えて貰う。こちらの持っている情報は少ないので教えられることの方が多いのだ。それでもお客さんの持っていないものを提供できると何となく嬉しくなる。詩集の好きなお客さんが来て知らなかったという詩人の作品をコピーして上げた事がある。私も知り合いの人からコピーして貰ったものである。もう実物は探しても入手できない可能性の方が高い。お客さんはその詩人の詩集を多く所有しているが作品は知らなかったという事で喜ばれた。その作品の感想は二人で共通するものだったのも嬉しい事だった。

 その作品は偶然に私の知り合いが送ってくれた同人誌に掲載されたものであつかましくも作品全体をコピーして貰えないかと頼んだものである。全文を読んで自分の若いころの事が思い出されて少し胸の中が苦しくなった。年齢的にも同じような人の生活がそこには書かれていて同じような思いになった時代の気分が何とも不思議な気がした。同時にその内容が悲しいものだったので自分も悲しい思いになったのだ。

 そのお客さんが来て詩人の新しい詩集が出版されていることを教えてくれた。私の持っていない詩集も再録されているというので早速注文した。店の休みの日に詩集は届いていたのでポストを確認しに出かけて家に持ち帰った。久しぶりに家で詩集を読んでいると最後に何と私の知り合いの書いた文章が紹介されていた。二人がどのような関係であったのかは分からないがお互いに書いた作品を通じて影響を受けていたようだ。知り合いの書いた文章はこれも自らの若いころの事を書いたものでやはり悲しい内容であった。私はこれも全文が読んでみたいと思って早速注文した。

 最近年齢のせいか若いころの様々な事柄が感傷的に思いだされる。今更何もできないのだが思い出すだけで心が揺れて震えてくるような気持になる事がある。その気持ちをどうにか書いておきたいとも思うが古い本を引っ張り出して整理したいと思ってもつい懐かしく読んでしまうように思い出すだけでそれ以上には形にならないでいる。「松下育男詩集」(思潮社)

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2020年

1月

30日

また本の本で学ぶ

近くの書店で衝動買いしてしまった本に関する本だが意外と面白くて一気に読み終えてしまった。以前には「復興の書店」と言う本を出していたそうだがその時は読んではいなかった。今回は正に衝動買いでしかないのだが本を作るお手伝いをしているので参考にさせて貰った。現在本を作りたいというお客さんの手伝いで編集をずっとやっている。当初の原稿を編集して何回か修正しては送り返すという事を繰り返している内に何だか最初に面白い文章ではないかと思ったものがだんだんとつまらない文章になってきた。修正する度にかなりの修正が繰り返されて文章の良さが薄れてきてしまったような気がするのだ。もったいないような気がするのだ。さて、この本は本づくりの仕事についての本である。登場するのは活版印刷に拘る印刷工、校正校閲のプロとして活躍する人、書体を作る人、紙を作る人などである。それぞれの拘りのプロがいる。それを紹介した本だが登場人物がなかなか面白いのである。最後には絵本作家の角野栄子氏も出てくる。この人の発言が良いので紹介しておきたい。「本を読むには我慢がいる。たとえどんなに面白い物語でも、二頁目くらいまでは我慢して読まなくちゃ、面白さは伝わらないもの。本はひとたび面白いと思えばたちどころに大好きになるし、何より次は自分で自分のための物語を選ぶことができるようになる。自分で自分の好きな本を選ぶという行為は、人が一人でものを考え、一人で覚悟して行動する、という基本的な人間としてのあり方そのものじゃないかしら」ということで、もう一度本づくりに真摯に取り組んでいかなくちゃという気になった。「本をつくるという仕事」稲泉連(筑摩書房)

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2020年

1月

13日

熊本で繋がる

 正月にじっくりと本を読んでと思っていたが、日程は、上手い具合に店の休みに合わせて正月三日間だけの休みで、後は営業していた。他所の店の日程を見ると大体同じような休みであった。中にはきちんと長期間休んでいる店もあったが概ね似たような感じだった。そんな訳で読んだ本は数冊にとどまり何となく休みは終わってしまった。それにしても昨年同様に天気も良くて暖かく穏やかな正月だった。特に何かやったという記憶も無く折角の休みが早く終わった印象である。

読んだ本の一冊は前に読んだ「橙書店にて」という本の続きのような本だと思ったら、こちらの方が実は先に出されていた本だった。著者の名前で衝動買いしたのだが同じような印象を受けた。丁寧に書かれた文章で読後感が心地良い。帯文は渡辺京二氏である。そしてその渡辺氏が長年お世話をしてきた石牟礼道子さんの晩年を記録した本を続けて読んだ。これも書店で衝動買いである。石牟礼さんの本は何冊か店の棚に並べてあるのだがそれらはお客さんからの買い取りである。今回何で買ったのかと言うと表紙の帯にあった写真がとても良かった。息子さんから提供されたというその写真は若い頃のものだろうか表情が気になってしまったのだ。文中には「橙書店にて」の筆者でもある田尻さんも登場する。帯文を書いた渡辺京二氏と一緒に熊本で同人冊子を出しているのだ。

 米本浩二氏が石牟礼さんの晩年を書いたこの本は興味深く一気に読み終えてしまった。毎日新聞記者であり石牟礼さんの晩年には介護もしていたという。渡辺京二氏も長く石牟礼さんの面倒を見ていたそうだが、そんな人達に支えられて最後まで作品を書いていたのだろうと納得した。印象に残ったのは「あなたが赤ペンを持っていると私は恐ろしい」と渡辺京二氏が言ったことである。本の中に書かれているのは、すでに発行された「石牟礼道子全集」に校正のための赤ペンであちこち手が入れてあるという部分である。いつまでも続く創作意欲に驚くばかりである。「みぎわに立って」田尻久子(里山社)、不知火のほとりで」米本浩二(毎日新聞社)

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