2020年

11月

27日

貴重な詩集、再び

いつだったかよく見ている本の収集をしている人のツイッターを見ていたら詩人で歌手の友川かずき氏の弟さんの詩集の写真が出ていた。弟さんも詩を書いている人で詩集を出しているという話はどこかで聞いていたのでどんな詩集なのか見たいと思っていた。それにしてもこのツイッターを書いている人はこんな珍しい本をいっぱい探してきては紹介している。その写真を見ては何度もこういった本だったのかと思うことがあった。私も色々な詩集を探しては買い求めているがそうそう見ることは叶わない。先日やはり詩の好きなお客さんがやってきてその話をしたら自分は二冊持っているので今度持ってきてあげると言われた。このお客さんもこんな風に貴重な本を数多く持っている人なのである。話に出る色々な本を必ずと言っていいほど持っているというのである。皆さん本当に本が好きでそれも歩いては探し出してきているという人たちだ。そんなことを聞いては自分もこれからどこかでそんな感じで好きな本を見つけることができるかも知れないと願っている。さてそのお客さんは何とその翌日に詩集を持ってきてくれた。時間を空けると忘れてしまうのでとわざわざ届けてくれたのだ。詩集は見た目は古本だがきちんと箱入りで帯も付いている立派なものだ。遺稿詩集なので後書に寄稿している人達の文章を読むと切ないものがある。「及位覚遺稿詩集」(矢立出版)

2020年

11月

14日

詩人吉田正人

長年の知り合いである詩人吉田正人氏が亡くなったのを知ったのは今年であった。毎月送られてくるミニコミ誌「遊撃」野中に読者の投稿がありそこに吉田氏の亡くなったことが書かれていた。そういえば最近は詩集が送られてきていなかった。こちらからも特に何かの発行物を送ることもなく何となく疎遠になっていた。今まで「遊撃」を送って貰いながらあまり返事も出さずに失礼をしていたので申し訳ないと思っていた。皆さんどなたも高齢になりそれでも機関紙などを発行することが続いている。それも律儀に毎月の発行である。この機会に送って貰うことを辞退することにした。私が読者としてあるのはなくなった吉田氏の紹介であり最近は店のある地元の丸木美術館での詩の朗読会にも参加したことがあった。しかしあまりにも長い年月が経過していることもあり少しずつお付き合いを減らしていこうと考えている。その旨を書いた手紙が「遊撃」紙面に掲載されて以後は送られることもなくなった。その後に「吉田正人詩集」が送られてきた。吉田氏のパートナーから丁寧な手紙も添えられていた。思えば今から50年も前の記憶であるが吉田氏と初めて会ったのは静岡市の地下道である。障害のある体で自分でガリ版刷りした詩集を売っていた。何度か買ったのだろうか。当時の記憶があまりないのは残念なことである。それからは詩集が毎回送られてくるようになった。私も自分の作ったものを送っ多様な気がする。そんな付き合いがずっと続いていたのだ。最近はほとんどその機会もなくそのままになっていたのだが本当に懐かしく思い出す。その後さらに詩集の続編が送られてきた。手元には吉田氏の二冊の詩集がありそこには若い時から詩から私が送ってもらっていた詩集がまとめられている。送って貰った詩集は数冊を除いてほとんどは手元には残っていないがこうして再度吉田氏のすべての作品を読むことができるようになった。覚えているものを忘れているものも含めて送って貰った当時とはまた違う感想がある。遺稿集であるから作品について二人で話すことも出来ないのが凄く残念な気がする。今回初めて静岡から引っ越してから私の住む所の近くに住んでいたことを知った。その頃は手紙のやり取りもなく全く知らなかったがそれもまた残念なことである。私が勤め先のサークルに所属して作品を書くようになった時にもアドバイスをしてもらっていた。今少しずつ送られてきた詩集を読んでは昔を懐かしく思い出し何とも言えない気持ちになる。

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2020年

10月

17日

心地よい余韻

色々な人がネットで本のことなどを載せているので何人かのブログをたまに見ている。そんな中に主に詩集などを取り上げているのを見ているページで紹介されていた本を何だか面白そうだなと感じて注文してみた。私よりけっこう年配の人のようだが何度か芥川賞の候補になったという人だった。それを最近多いひとり出版社が作品集を出したのだ。著者のあとがきを見ると昔小説を書いたことがあるなどといった風である。ネットで昔の作品が出ているのか調べたらとんでもない値段がついていたのでこれはすぐに諦めた。ほぼ新刊に近い値段で出ていたそのひとり出版社の本を古本で頼んだ。届いたのはほとんど読まれていないのではないかと思うほどきれいな本だった。作品集となっているが中編が三作まとめられているシンプルな本だった。最近雨が多いので朝起きるとそんなときは読書をしている。取り敢えず一編だけ読んでまた後で読もうと思ったのだが面白くて一気に全部読み終えてしまった。確かに昔の作品を読んでいるような感じだったが文章が丁寧で読みやすい。芥川賞を何度も候補で逃していた人のようだが芥川賞にはふさわしくなかったのだろうか。少し地味で古臭いような印象はあったが読後感が心地よくてそのせいで全部読んでしまったのかも知れない。登場人物はそれぞれ中年の女性でそこには自身が投影されているのかも知れない。誰かこれからこの本を読むことがあるかも知れないが「秘密」という作品のテーマは今日的で深いものがある。ネットでは色々な人が様々な本を紹介しているがこんな本に出合えることもあるのだと思った。「小説集・体温」多田尋子(書肆汽水域)

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2020年

9月

09日

認知症検診

高齢なのでそろそろ認知症を疑ってくださいということなのだろうか町役場から検診の通知がきた。自分では何の自覚症状もないと思っているがこれは本当のことは分からない。確かに忘れっぽくなっているのはわかるし何となく不安感を煽ることはいっぱいある。取り敢えず受けないと町から何度も催促の通知が来るので検査を受けてきた。病院では前の受診者と医師の会話が全部廊下に聞こえてくるのでこんな検査をするのかということが事前にわかってしまった。これなら何も問題ないだろうと思ったのだが医師の問いにつっかえてしまった。何とか思い出して事なきを得たといった状態だったが問題なしという結論だった。しかし何となく今後に不安を感じる思いもあった。

さてタイトルに魅かれて買っておいた本を読み終えた。「レビー小体型認知症」と診断された当事者が書いた本である。本人が経験した色々な事例を紹介しながらこの病気に対する理解を求めている内容である。当初はうつ病と診断されて何年間も薬漬けにされてだんだんと症状がひどくなっていく過程がある。薬を増やしながら変えていく様はまずモルモット状態である。そして薬を止めたら症状が改善していくということは私も経験しているのでよくわかる。事例の中からは周囲の理解と援助があれば特に支障なく社会生活がおくれることがわかる。それにしてもこの「ケアをひらく」シリーズは面白い本が多い。「誤作動する脳」樋口直美(医学書院)

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2020年

9月

04日

ひとり出版社について

店の近くにあるデパートに大型書店が入ってからどんな新刊が出ているのか時々覗いている。ここは文庫や新書が多く並んでいるので探すのには良いのだが雑誌が少ないのが残念な所でもある。それでも時間があればぶらぶらと出かけていく。先日は何度か見かけた本がずっと並んでいたので衝動買いしてしまった。例によって本に関する本である。古書店や出版に関するものも含めて本についての雑誌の特集やおしゃれな書店などの本を最近多く見かけるのはまだブームが続いているのかも知れない。勝ったのは出版社の本である。以前に一人出版社のことを書いたが出版関係の本もけっこう出ていてこの手の一人出版社も増えているようだ。こんなに本が売れないという状況が続いているのに出版社は増えて出版点数も増えているのだ。ヒット作が出れば何とか続けられるといった感じなのだろうか。食品ロスが話題になっているが廃棄処分される本が増えていることも考えなくてはいけないのかも知れない。そんな出版社の中で二つの会社をいつも注目している。夏葉社とミシマ社である。どちらも若い人がやっているのだが一人出版社でじっくりと本を出している方法と若者を雇用して少しずつ大きくしている方法に分かれている。どちらも面白い本を出しているのでたまに買って読んでいる。今のところ着実にその歩みを進めているようなので嬉しい。他にもこの手の小さな出版社が独自の本づくりをしていて出版に関する状況が少しずつ変わっているようだ。昔からミニコミが好きだったのでそんな延長にあるような本づくりをしている出版社には頑張ってもらいたいという思いがある。「パルプノンフィクション」三島邦弘(河出書房新社)、「古くてあたらしい仕事」島田潤一郎(新潮社)

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2020年

8月

22日

自粛生活

今年の一月は街の中から外国の人がいなくなったような気がする。2月になったら新型ウイルスのニュースが出てくるようになり3月からはニュースが身近な問題になってきた。そして緊急事態宣言という初めての経験で自粛生活に入っていった。期間中は店を閉めて常連のお客さんにもその旨を告げて新規のお客さんはお断りしていた。店には来ていたが何もすることはなく本の整理などをして過ごしていた。外出することもできないので余計なお金を使うこともなく図書館も閉められ書店も閉められとますます余計な出費もなく家計は助かった。元々そんなに売れる店ではないが長期休業というのも経験もなかったのでこれからどうなるのだろうと思うばかりだった。店を閉めても問題なく何をやるのかを考えるようになった。緊急事態宣言は5月連休を過ぎて解除されたが店を開けても何も変わることはなくウイルスの流行は続いているばかりだ。街も生活も元のようになってはいるが実は何も解決してはいない。本屋では「ペスト」が売れたそうである。今書店ではコロナウイルス関連の本が棚に増えているがどれだけ売れているのだろうか。そんな中でテレビで名前を忘れてしまったが女性作家がこの本を紹介していたので買ってみた。何度も書店の棚で見ていたのだが積極的に読みたいと思う本ではなかったので買わなかったのだ。かなり厚い本なので読むのに時間がかかった。緊急事態宣言を受けて自粛生活をしていた時の様々な職業の人の生活日記である。色々な立場の人が緊急事態の中でどんな生活をしていたのかがわかる。本当に色々な立場の人が書いている。有名無名の様々な仕事についている人達の記録である。長い物語ではないので読むのは簡単だ。本当に皆さん頑張って自粛しながら生活している様子が見られて面白く読んでしまった。中には悲しい話もあるし真面目にこの生活をおくっていたのがわかって不思議な感動があった。自分の生活も大変だが知り合いの生活のことも考えている。そんなことができる人がいることも嬉しい。戦争のような大きな社会事件も知らなかったが天皇の亡くなった時の自粛生活とはまた違う。もしかしたら自分の命に係わるかも知れないがそんな現実的な危機感もわからないまま生活が変わっていく。今政府は新しい生活様式という言葉を使っているが新しい生き方をしていくことを現実に考えなくてはならないと思う。「仕事本」(左右社)

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2020年

8月

05日

もう一度ミニコミ誌

最近はネットで全国の色々なミニコミ誌を見ては欲しくなったら注文したりしている。本当に便利な時代になったと思う。今までは実際に手に取ってみて買ったいたので大きな書店の地方出版の棚を見たりしていたのだがネットで写真を見られるので結構実際のイメージが掴める。それにしても同人誌やミニコミ誌はいくらでも全国に星の数ほど見るかるものだ。大体長続きしないので何号か出されるとまた別の名前になるか別のメンバーになって出されるような傾向にある。よく三号雑誌という言葉があるように当初の発行号に熱気が集中しているのでその辺が一番面白いのだ。

自分も若い頃にはいくつかの同人誌に名前を連ねたことがあった。結構引っ越しもしているのでそれぞれの場所で関わったものもある。今でも出されているのかどうか調べてもほとんどは出されていないことが多い。断捨離という言葉が流行った時から少しずつ整理して自分の持っていたミニコミや同人誌もほとんどは今手元には残っていない。

先日そんな一人の出していたミニコミ誌をまとめたものが送られてきた。発行者は奥さんである。全く知らなかった若い頃の作品を集めたものが最初に届いてから私が送って貰っていた頃の作品をまとめたものが次に届いた。1960年代から昨年までの作品がまとめられてある。何とも懐かしい思いになった。初めて知り合った頃はお互いに20代である。読むと一時期は県内で近くに住んでいたことがあったようだが全く知らなかった。先日亡くなったことを別のミニコミ誌で知った。そしてそのミニコミ紙はその時点で購読を断ったばかりだった。皆さんすでにい高齢になり発行も大変な作業だろうと思われる。それでも続けられているのは凄いと思うが送って貰うのも読むのも大変だと思うようになった。しかし昔自分の若い頃に作っていたものと今若い人から送って貰うものとは内容が違うが発行する意欲は同じものだろう。

以前に戦時中に発行されていたというミニコミ誌について書かれた本を興味を持って読んだ。そして先日書店でその発行者について書かれた本を見かけたので買ってしまった。著者はすでに亡くなっておりその意思をついで周辺の人たちの手でまとめられた本である。戦時中の若い人たちの熱気が伝わってくるような本であった。「幻のスタジオ通信へ」伊藤俊也(れんが書房新社)、「キネマ・新聞・カフェー」中村勝・井上史(ヘウレーカ)

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2020年

7月

16日

懐かしい名前を見た

毎年市内でやっていた「平和のための戦争展」というイベントが今年は新型コロナウイルスの流行により中止となった。知り合いに頼まれて実行委員として参加していたが例年より少し早い段階で実行委員会が招集され今年の開催はやめるという結論が出された。もう何年も実行委員をやっているような気がしてそろそろやめたいなと思っていたので中止はほっとした気持ちもあった。歴史的には30年以上もあるのでイベントそのものは来年度に続くのだろうが当初の意図とは別に行政の意向が積極的な実施に向かっていないのだ。中心になっている労働組合と行政と市民団体の三者による実行委員会形式の平和イベントなのだが市の姿勢は最近は極めて消極的だ。むしろ実施に反対しているような気がする。具体的には補助金や会場の提供などでそれを感じるし内容にもかなり意見を出してくるような気配である。そうなると実行委員の中にも反対に意欲的になってくる人もいるが実際の所はマンネリ化している部分もある。今年は取り敢えず中止だが次年度以降はどうなるのか今の段階ではわからない。実行委員会の事務局などを担っているのは地元の労働組合である。当地では以前から組合運動が力を持っていたようだが引っ越してきてからの参加なので昔のことはわからない。ただ組合の一部には教職員組合もあり未だに市内に事務賞を構えている。先日はそこで実行委員会が行われたのだが初めて行った場所の中に貴重な過去の資料があり見ていたら懐かしい名前を見つけた。以前に住んでいたところでやはり市民運動的な関わりの中で知り合った人の名前だったのだ。そういえば以前は教師をやっていたと聞いたような気もする。その土地でもいくつかの市民運動に参加していたがその一つに子供たちの教育問題と差別問題があった。住んでいた所の近くにいた子供が差別問題で自殺したのだ。教育機関にも地域の団体にも知り合いがいて運動にかかわる人たちにも知り合いがいたので時々顔を出していたのを思い出した。その名前を調べてみたら一冊の本が出てきたので読んだ。作者は引っ越してからも苦労したようでそのことがかかれていた。引っ越すことが決まった時に送別会を企画して仲間が集まったことを懐かしく思い出した。当時も今もそうだが良いことも嫌なこともある。「タカシの中学生体験記」嶽本秀子(鳥影社)

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2020年

7月

01日

記憶の底から

「困ります!」Mさんの声がさほど広くない事務所を走り抜けた。窓口から東京電力営業所の職員が囁くように話続ける。「上の方からは切るように言われているんですよ。いつまでもこのままじゃ私共も困るんです。」「そんなことには返事できません。美術館の主も居ないのに。」Mさんの声は苛立っている。この日5月12日、丸木美術館には丸木夫妻と事務局長は不在だった。新しく構想している原子力発電所をテーマにした絵本の取材のため旅行中であった。Mさんは週の半分をこの美術館に勤めているが今日は休みだった。たまたま用事で立ち寄ったのだが。東電はまるでその時を見計らったようにやってきた。Mさんと東電職員の話し合いは平行線である。その間、営業所長はずっと車の中で待っている。「いつもそうなんだから。」Mさんがつぶやく。しばらく話し合いが続いたが、やがて別の職員二人が所長のGOサインで動き始めた。そして美術館の裏手にある配電盤を開け、スイッチを切り、封印をする。あっという間に彼らは去って行ってしまった。館内はあいにくの曇り空で真っ暗である。ちょうど近くの高校からの団体見学の予定が入っている。事務所の中は急に忙しくなった。Mさんは旅行中の丸木夫妻の宿泊先に電話を入れる。取材中で旅館にはいない。帰り次第電話を入れてもらうことにする。あいにくとファックスも使えなくなってしまったので連絡すべきところに次々と電話をしている。朝日新聞と毎日新聞の記者がやってくる。早い。東電から連絡があったと言う。自家発電用のモーターを運び出し、暗い部屋に電球を吊るす。館内にはすでに高校生たちが入っていた。ただでさえ安い入館料を無料にして入ってもらうことにして、声明文を張り出す。薄暗い館内に丸木夫妻の絵が浮かび上がる。おかげで絵は一層の迫力である。周辺の静けさを破って自家発電のモーター音が響き渡っていた。

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2020年

6月

05日

社会的事業と新公共スタイル7

新型ウイルスの流行で政府の緊急事態宣言が出されてから外出を自粛していた。約二か月間どこにも出かけることなく家と店を往復していた。家にいるだけでは流石に息詰まるだろうが店に居て本の整理をしていれば少しは気持ちも楽になる。たまにお客さんが来ることがあるが店での営業も自粛していると断っていた。それにしてもこの二か月間は街も静かで人通りもなくよく言われるように街が死んだようになっていた。埼玉県は全国に少し遅れたが今はその自粛要請も解除されて街も通常のような感じに戻っている。感染者がいなくなった訳ではないが元に戻った生活になっている。今は仕事もやめて通勤する生活もないので外出も控えろとなればどこにも行かずに済む。しかし働いている人は東京に通勤しているので電車が混んでいようが通勤しなくてはならないので元の生活に戻るということは感染のリスクを承知しながら通うことになる。今回のウイルス流行の中でテレワークがよく言われてテレビでその場面も見たが全員がそうなる訳ではない。政府の言う新しい生活様式の提示が新しい生き方の選択につながればいいのではないかと思っている。外国から見ればおかしい満員電車での通勤などはテレワークや時差出勤などで少しずつ変えられるのではないか。現実に一時的にはそんな状態が作られてしまった訳なのだ。店が休業して不便な生活になってしまったことはあるが仕事が生活のすべてではない生き方が選択として示されたのは意味があるような気がする。さて古本屋だけではなく書店も休業してしまったのでネットで本を買うことになってしまった。おまけに配達の量が多くなって遅配が出たり再配達が中止になったりと意外な所で影響が出るものだと思った。世の中はいろいろな所でつながって影響しあっていることがわかった。今回は古本でなかなか安くならなかったので新刊で続編が出されたついでに二冊同時に買ったしまった。工藤律子という人は知らなかったが中に出てくる人は知っている人がいた。スペインを取材して新しい働き方を紹介した本である。私がその法制化を担当していた協同労働で働いている人々とその内容を紹介している。4年前に出された本では市民政党で政治の世界にも進出した事例とフードバンクの例が知りたかったのだ。今回はその協同労働の内容がより詳しく紹介されて経済の流れも書かれている。興味を持ったのは新しい書店のあり方であった。政府は今回のようなウイルス問題が起こっても淡々と自分たちの政策に摺り寄せてしまうだけだ。「働き方改革」を提示しながらも市民が運動を続けてきた法制化は未だに実現していない。「雇用なしで生きる」「つながりの経済を創る」工藤律子(岩波書店)

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