2016年

2月

26日

何故今なのか

 先日銀座のデパートで開かれた古書市を見に行ったが、さすが銀座という場所柄なのか高い本や紙物類が多くとても買えなかった。その中に一店だけ漫画を専門としている所があり、ある有名な漫画家のスクラップだというものがたくさん出ていた。ほとんどが昔の漫画雑誌の切り抜きで、実は結構ここが賑わっていた。とにかく300円位からと安かったせいかもしれない。何冊か抜き取ってみたら、ほぼ自分と同じ年代くらいの人らしく、見覚えのある作品がきれいに製本されており、それが山のようになっていた。

 あまり食指が動く内容ではなかったので(すでに読んでいたり、自分でも持っていたり、ということ)買ってこなかったが、漫画専門の古本店などの目録を見ると、どうも私が以前好きだった漫画家のスクラップと言うことが判明した。もう今は作品を書いている様子もなく、蔵書の整理と合わせて処分したような印象を受けた。後日、古書目録で調べたら貴重な昔の同人誌なども売りに出されており、それらは高い値段が付けられていた。もちろん私の買える値段ではない。

 ずっと昔にその漫画家の家を訪ねたことがあり、多くの漫画や本が資料として家の中に積まれていたことも知っていたが、それらも全て処分してしまったのだろうか。目録の中には交友のあった人達の手紙なども載っていたので、これらのものも全て古本店に売られてしまったんだなと思った。さて、別の古本店の目録には映画関係のスクラップも出ていた。その店にしては比較的安い値段が付けられていたので応募してみたら当たってしまい、今そのスクラップは私の所にある。漫画関係の資料は多少興味があるが、映画関係は店で売ることにしよう。あの頃からすでに50年の歳月が過ぎようとしている。

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2016年

2月

20日

時間の区切り方

  誰にとっても時間は重要なものだ。一日をどのように分けて使うのかはそれぞれ違っていても全体は変わらない。それをどのように使うのかで自分の生き方が変わってくる。その積み重ねが一生ということなのだろう。ゴールが何となく先に見え始めて来たような気がするので、あまり先を急ぎたくないという思いでい。

 何時だったか店の近くのライブハウスに、よしだよしこの歌を聞きに行った。何とも懐かしい元ピピ&コットのメンバーである。池袋にサンシャインビルが建設されていた頃、その空き地で唄の市というコンサートがあり、そこで聞いた覚えがある。メインの吉田拓郎がなかなか来ないので、泉谷しげるが穴埋めで二度ステージに出ていた。40年以上も前のことになるだろうか。

 顔を見ても何も思い出さなかったが、CDタイトル曲で、「一日の4分の3がすぎたあたり、やり残したあれこれはずっと新しい」と彼女は歌った。一日を4等分に区切れば一つが6時間になる。4分の318時間後ということか。この頃に夕日を眺めてビールを飲もうと歌う、彼女の人生もそういう時間帯になっているということなのだろうか。ゆったりとしたいい時間帯のように思える。

 最近、CDはほとんど聞かなくなってしまったので全部売り払ってしまった。もう買うこともないと思っていたのだが、彼女の歌った歌の中で一つだけ気になった曲があり、ネットでどうしても見つからないのでこのCDを買った。ライブとは少し印象が違ったが、確かにその曲だった。全体的に好印象の一枚なのでしばらくは聞いてみたい。私が聞きたかった曲は、実は彼女のオリジナルではなかった。ので、そちらも紹介しておきたい。(オリジナル・鈴木亜紀「たそがれ」)

 

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2016年

2月

17日

残された時間に難解な表現

 雑誌や新聞の年末恒例の特集でよくあるのが、今年一番感動した本というようなものがある。そこで色々な人が推奨していた本があったので読んでみた。古本でもなかなか安くならないので少々高いのを承知で購入して読み始めたのだが、いきなり最初から形容詞の難しい表現に振り回されて結構我慢しながら読み進んだ。後半はその文体にも慣れ、また話の内容もわかってきたので割と読みやすく感じた。写真が多くその分は見るだけで済んだので助かった。

 映画化された作品も観ていないし、前作も読んでいないので、これが年間のベスト作品だと言われると悩ましいが、その先入観を差し引いても作者の真摯な生き方が伝わってきて読後感は良かった。訳者の文章が作者の文章にどれだけ忠実であったのか原書を読めない私としてはわからないが、訳者あとがきが最も自然に読めたような気がした。残された時間をどう生きるのかということは今の私にとっても大切なテーマである。そんな中で登場する様々な境遇の人たちがとても貴重な人に思えること、ネットの世界から出て本物の人と接するということが自分を生かしてくれるということ、その人たちがパソコンと無縁に生きていることなどがヒントになるかも知れない。でもこの作者はきっとまたパソコンの前で次の仕事に取り掛かるのだろうと思う。

 

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2016年

2月

12日

情報の海で溺れる

 インターネットでの販売は未だにしていないが、ニュースの速報性を頼りにネットを繋いでいる。まずはメールのチェック、次に最新のニュースを見る、次にいつも見ている知り合いのブログを眺める、といったような状況で店が始まる。知り合いになった同業者のブログはいつも必ず書きこまれている。それも一日に何度も更新されていて感心する。本の話より社会情勢についてのコメントが多い。最近は政治ネタが多いので、そのように指摘したら政治ネタを導入に本の話題を入れるようになった。毎日ニュースを見聞きしているとつい社会的な事件や政治的な話に怒りの発言が出てしまうのだろう。それも当然だと納得できる。

 新聞を読み、テレビでニュースを見て、がっかりして呆れてしまったり、怒りを覚えることが日常になり、ついつい振り回されてしまっているなと感じる。もしかしたらスキャンダルの裏には私たちの生活にとって重要な隠し事が動いていると疑わなくてはいけない。あっちだこっちだと見せられていると疲れてしまい、もうどうでもいいやとなってしまっては困るから、目の前で交通事故が起こったら背後に武器を持った人が近づいていると思ってもいいかも知れない。

 何しろ次から次へ色々憶えることが多いのでそれらを覚えるのが大変な状況で全てを使いこなすまでには至っていない。選択することも無いのに色々な情報が自分の周りに溢れているのだ。携帯電話の機能を使いこなせないのでスマートフォンなど購入することもない。カードなど使わないので契約が解除されてしまった。少しずつ覚えて使いこなせるようになって初めて情報の選択が出来るようになる。でも本当に必要なものなのかどうかはわからない。銀行へ行くとATMの所にはパスワードを変えなさいとか指紋認証が便利ですとか書かれているが現状で不自由なことはない。パスワードを何度も変えたら憶えられないし、病気になった時など本人でないとATMも使えなくなる。少しずつ考えながらやるからあまり急かさないで貰いたいと思う。

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