2016年

4月

27日

儲からない古本屋をやるということ

  当地に古本屋を開いてから三年が経過して借りている店舗の更新の年になった。経営的には赤字なのでもう少し安い物件探しをしていたのだが、時期的に間に合わない状況になったので現在の場所を更新することになった。しかし現状は極めて厳しい経営を続けることになった訳で、結局いつ閉めるかわからないということは全く変わらないままである。本来商売には向いていないから店はやめなさいと言われていたのに古本屋を開いたのには簡単な理由がある。私の周りには定年になって退職したら古本屋でもやりたいと言う人が多かったのに誰からも古本屋を開店しましたと言う話が来ない。なら自分でやってみようということだったのだ。それが意外とスムーズに進んでしまったということなのだ。こんなことが私の人生の後半はずっと続いている。他人に頼まれたりして何かをやることが多いのは主体性が無いのと自分の残された時間はそういうことに使おうと決めたからである。後半とは30代半ばからであり、今となってはもう完全に余った時間を使っているような気がする。そんな訳なのでいつ閉めることになっても儲からなくても定年退職後の古本屋の親父はもう経験してしまったので目的は達成しているような気になっている。

 地方の古本屋が次々と閉店している中で開店することは爽快な気分で、これは私がいつも言われているように少し早すぎたのかもしれないと感じている。実際東京近辺で最近若い人達が面白い古本屋をオープンしている状況を見ると少し早すぎただけで間違いではなかったと思う。この地でもこれから若者が店を開いても良いのではないかと私は思っているのだが、なかなか出てこないのは皆さん堅実な人生を考えているからなのだろうか。せっかく古本屋をやっているので、どんな店があるのだろうかと色々な店を見学に行っている。そしてこれが結構面白い。古本の値段の付け方、店の棚の作り方であったり、本以外に何をやればいいのかということであったり、若者たちの店作りは勉強になることが多々ある。まだ行ってみたい所があるので時間をとってちょこちょこと歩いている。

 しかし、もともとが飽きっぽい性分のようで安定してくると自分で壊してしまうことが多く、次には何か違うことができるのではないかとつい考えてしまう。一時期アルバイト生活をしていて、どうせ正規の職員ではないのだから半年位で色々な仕事をやってみたいと思いそれを実行していたら、面接の時にどうせやめるんでしょと指摘されてしまったことがある。当然採用にはならなかったので、その後の職場は少し長く勤めた。だが途中で強引に古本屋を始めてしまったため三つの仕事を兼務することになってしまった。以前にも同じ様なケースがあり、かなり疲れながら勤務をしていたのが、結局今までを継続しつつ身体を酷使して働いているのが合っているのかも知れない。貧乏暇なし。

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2016年

4月

15日

映画の時間

  自宅にあったCDやビデオなどを整理して処分してしまった。売れるものは売ってとも考えたが面倒くさいのでごみに出してしまった。保存しておかないと困るものもあったのかも知れないがもうどうしようもない。ビデオはVHSで今や見ることもできなくなっていたのでどうしようもない。一つだけもう一度見ようと残したがプレーヤーが無いので借りてみようとしたら映らない。よく見たらカビがついていたので結局捨ててしまった。しかし、やはり見てみたいと思いアマゾンで購入したら結構安い価格で手に入ったので、もう一度プレーヤーを借りなくてはならない。

 作品はジャックレモン主演の映画だが、見たいのは中に挿入されているアニメの部分だけである。その部分だけをDVDにコピーできないかと写真店に頼んだのだがコピー禁止商品なのでと断られたのだ。ビデオは古い作品で1972年に制作されたものだ。当時は静岡県にいて仕事をさぼってこの映画を見た記憶がある。ジャックレモンの「おかしな関係」シリーズなのでラブコメデイ作品である。主人公は漫画家で子持ちの女性に恋をするが、別れた筈の夫が出てきて三角関係になる。しかし、その夫は報道カメラマンとしてベトナム戦争で死んでしまう。残された小さな女の子にジャックレモン扮する漫画家が自分の作ったアニメを見せるシーンがある。私が見たいのはこのアニメの部分なのである。そのアニメ作品はそんなに長いものではないが何故か記憶に残っていて、当時このビデオを購入したのだ。何度か見たのだがもう一度見て確認したいと思っている。

 女の子は戦争で父親を亡くして悲しんでいる。ジャックレモンが自分の作ったアニメを見せる。女の子は見た後で「わかったような気がするわ」と言う。時代を感じる作品である。アニメの内容を紹介する。「昔ある所に男と女がいた。二人は結婚して家庭をつくる。町が出来て社会が出来る。やがて戦争が起こり、誰もいなくなってしまった。でも男と女が生き残る。また町が出来て、戦争が起こり誰もいなくなってしまった。でも男と女が生き残った。」こんな感じだったような気がするのだがよく覚えていない。別に何かが問題だと言うことではなくただ懐かしいだけなのだが、この内容は「風の谷のナウシカ」という作品のラストシーンとイメージがダブってくる。また先日来日した南米ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領の言葉にもダブってくるような気がするのだ。氏は「実際に日本人を見てどう思いますか」という質問に対して、「高齢者は孤独に見え、若者には夢が無いように見えた。幸せな人もいたし、そうでない人もいた。それは目を見ればわかる」と答えた。映画は娯楽作品だし、ムヒカ氏の言葉は特別なことを言っている訳でもない。ただ私の残された時間はこういったことに使いたいと思っている。

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2016年

4月

09日

歴史から学ぶということ

 ノンフィクション作家の保阪正康氏の講演会を開催することになった。名前は知っていたが、実際にどのような人なのかは知らなかったので本を読んでみた。昭和史を検証するという内容だったが、政治的な言質はあまり読みとれなかった。保阪氏の講座に通っているという人が中心になり、地元で講演会を開催したいと何度か話し合いをしているうちに、昭和史を研究、検証していく中で現在の政権が主張する政治の形があまり好ましくないと評価している事がわかった。特に今年施行された安全保障関連法については歴史的に見ても極めて危険なことではないかということを言っている。昭和史の戦争体験は戦後生まれがほとんどとなる今後の社会を展望するときに全く忘れられようとしているかのようである。そのことに危惧を抱いているのではないか。

 保阪氏のことはあまり知らなかったが、不思議なもので名前を記憶すると色々な所で目にするようになった。本もたくさん出ている。何冊か購入したのでそのうちに読んでみようと思っている。そして今日は朝刊で偶然に記事を見つけた。「昭和史のかたち」という記事で、月に一度の掲載のようだが、今まではまったく記憶になかった。記事の内容だが、国際社会に注目すべき発言をしている日本人として六人の名前を挙げて、その理由を述べている。昭和史の研究をする中で評価されるべき人物と言うことになる。それは歴史を検証すると言う立場でのもっともな発言である。最後に上げたのは記事の見出しともなっている柄谷行人「世界史の構造」である。保阪氏の主張は、近代日本の誤りがどのような結論に達するのかということを国際社会に発信する必要があると言うことであり、この著書は人類史の新段階への理論書と位置付けている。

 本は何度も繰り返して読むことが出来るテキストとして活用し、講義はその講師の人柄も含めた思いを共有する場となる。名前だけでなく当然その人柄も知らなかったが、高齢になっても歴史の研究を進め、過去の歴史から学ぶということは将来の社会に対しても思いを馳せることだと言い、その理論が難しく十分に理解できていないと素直に認めながらも、今後の社会の在り方について理論的に学ぼうとしている姿勢には頭の下がる思いである。

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2016年

4月

08日

立ち位置

 古本屋としての立ち位置は店名にも示しているように、後ろに並んでいる集団の一員であると自覚している。波乱万丈の人生だったと言うほどのことはないが、色々な経験があってそうなっている。それは30代中頃からであり、その理由はあまり憶えていないが、身体の不調や人間関係ではないかと思っている。歌謡歌手の後ろでバックコーラスを務めるグループの一員という感じだろうか。歌手を盛りたてながら、居てもいなくても良いような感じだが、居ないと物足りない存在が理想的とも言える。

 自分の蔵書が許容範囲を超え、また周囲の人達から定年後は古本屋の親父が理想的だと言う声を聞き、でも誰もそんな馬鹿なことはやらないじゃないかという事実から、自分がやってみようと考えた。実際こんなにすぐ出来るとは思わなかったので、実はもうその役割は終わっているとも思っている。出来るだけ目立たない裏通りの古本屋であまり売れない本を並べている愛想の悪いおやじと言うのが良いのだが、思うようにはいかない。店も汚くて埃だらけの本が積み上げられているというのもいいかなと思うが、なかなかそうはならないのが現実だ。

 あまりお客の来ない古本屋を目指していると言うと(実際あまり来店者は居ないのだが)それは可笑しいと言われるし、趣味の店と言うとそんな好きなことが出来ていいねと皮肉られるし、理解者は少ない。目立たずにやっている事が評価されず、でも居なくなると少しだけ困るという社会貢献型のスタイルを模索している。結果は後々にわかるのだろうが、見た目通りだったとなるかもしれない。でもそれでいい。

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2016年

4月

01日

腐る本

書評やブックレビューを見て読んでみたい本を調べては、リストを作成している。古本屋で見つければ買うのだが、なかなかそう簡単には見つからないのが普通だ。この本も何かの欄で見てリストに入れておいたものである。ネットでも調べたがあまり安くならないので、そのうち見つかるかもしれないと思っていたら、先日、近所の古本チェーン店で偶然に棚にあるのに気がついた。やはりかなり高額だったが、こんな所で見つかるとは思っていなかったので購入した。探せば出てくるものだと納得して少し読み始めたら、どうも読んだ記憶がある。読み進むうちに完全に思い出した。これは読んでから店に置いて売れたものではないか、もしかしたら記憶違いで自分が古本チェーン店に売ったものかも知れない。それがいまや本の帯も取れた状態で、かなり高く買ってしまったということではないか。こんなことを実は結構経験しているので本当にがっかりしてしまった。しかし、まだ読んだ内容を覚えていただけ立派なもので、読んだことも忘れて同じ本を繰り返して読んでいるのかも知れない。時間がない、本が読めないと嘆いているのに全く恐ろしい話である。

  さて、この本の著者は、田舎の辺境の土地で天然酵母のパンづくりをする若い夫婦、本物の生活を目指して利潤を産まない店を始めるのである。週の半分しか働かない、一年の一カ月は休みを取る、高いパンを売り、マルクスを読み、腐る経済を論じる。おかしい変な人である。でも実に面白い。まず読みやすいというのが良い。自分の生活をわかりやすく描いている。現代人によくある定職に就かないで自分のやりたいことを追及して飽きないというパターンだが、でもきちんと結婚して、子供もいて、仕事もして、仲間もいて、生活しているのだからいいのかもしれないと思う。私が勤めていた前の会社の若い上司はまったくこれと同じで、やはり会社を辞めて、今は農業をやっているのかも知れない。実は中に書かれているような生活は自分でも経験してきたし、周囲にも同様の人がいて、そういう生活をめざす若い人も知っている。だから共感できる部分が多く読みやすいのかも知れない。残念なのはずっと先まで見ていられないことだけ、頑張ってパン屋で革命を起こしてもらいたい。

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