2017年

1月

21日

いよいよ宗教本を読む

 だんだんと年齢を重ねてつい宗教本を手にしてしまう。と言っても昨年何かの書評欄に紹介されていたので面白そうだと思い買っておいたものである。実はまだ読み終えていない。それも全然進まないのだ。何というか難しくて理解が出来ない部分が多すぎる。読みとばしても良いのだが結構面白いのでじっくりと読んでいるのだ。早稲田大学文学部を出て仏門に入った人と東京大学法学部を出て牧師になった人の対談本である。このかなり理屈っぽい二人の対話が実に面白い。読んでいる時は実に明快明晰に理解できているつもりだが、本を閉じた後では何が語られたのかが残っていない。仕方なくもう一度繰り返して読むと納得する。そんなことを繰り返しているのでなかなか前に進んでいかないのだ。おそらく読み終えてもまたこの本を開くことになるだろう。すでに他の著書も入手してあるのだが時間がかかりそうだ。

 何が気になるのかというと、ここでは仏教もキリスト教もその本質論を追及している事である。この人たちは本当に自分たちの信仰している宗教を信じているのだろうかという危うさまでも感じる。勿論それは信じたいために疑問を呈している訳だが、その徹底ぶりがすごいことになっている。私にはいまこれからの人生の送り方についての迷いがある。若い頃には生活のために生きることがあるが、すでに仕事も辞めており、最低限の生活があればそれで済む。食べることも多くを必要としない。通勤のために出かけることもない。特別の趣味や嗜好もなく時間が過ぎるままに生きているのだ。そんな暮らしの中では自分は何のために存在するのかという究極的なテーマを説いてくれるこのような本はとても有難いことである。「禅と福音」南直哉・来住英俊(春秋社)

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2017年

1月

15日

詩集を読む

 懐かしい昔の古い音楽テープを聞く日々が続いている。それにしても何でこんなに多くのカセットテープがあるのだろうか。一生懸命に録音した曲がいつまでも流れている。敢えて我慢して途中で止めることはしない。これに耐えることも修行と考え、何が楽しかったのだろうかと探ってみる。すでに半分近くは年末にごみとして出してしまった。無くて残念という気持ちにもならないからすでに当時とは違っているのだろう。当初の目的からすればこれらを聞いている事が楽しい筈なのだ。これを聞きながら何をするつもりだったのだろうか。

 詩の本が多いので興味を持つ人が来てくれればと思っているが、お薦めの本はどれですかと聞かれると困ってしまう。何度か推薦した本はあるのだが、どうも気に入らないケースが多いようだ。詩は自分の気に入ったものを読む方が良いと思う。どうもお薦めしたものは正に自分のお気に入りなので、他の人には合わないようなのだ。そんな訳で、最近は推薦というのは自重している。最近は何でも読んでいる。とにかくこんなに本があるのだからいくら読んでも読み終えることはない。まして新しく買っているのだから全部読み終えることはないだろう。音楽テープと同じで老後の楽しみだと思っていたのだが。

 音楽をBGMにして詩集を読む。元々短詩が好きなのだが、この詩集も短詩の連続だった。あまり難解な言葉もなく素直に読んでいけるのが心地良い。詩の場合は読んで良いなと思う感覚があればまずそれで良い。それから時間を置いて考えさせる内容があればさらに良い。次にもう少し他の作品も読んでみたいと思えればそれで良い。そんな詩集だった。「青をめざして」杉山平一(編集工房ノア)

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2017年

1月

11日

それにしても

 やっと読み終えたというのが感想だろうか。600ページを超える長編なのでそれなりに時間がかかった。それも小説ではなく評伝である。それにしても良く調べて書き続けたものだと感心する。参考文献一覧だけでも4ページを使っている。「死の棘」を書いた島尾敏雄の妻であり、作家でもあった島尾ミホを追った大作である。年末に何人もの人が今年の収穫としてこの本を取り上げていたので読んでみたいと思っていた。とても丹念に経過を辿って、丁寧に積木を組み上げるように書きあげられており、読みごたえのある一冊であった。

 全体の半分は二人が出会い、愛し合うようになった経過と戦中から戦後へと変わる当時の様子が描かれており、これもかなり詳細な記録となっている。後半では、作家としての活動を始めた島尾敏雄と表題にも書かれている「死の棘」が書かれる経過、そして愛人との関係や夫妻の生活を克明に追っている。精神を病み、故郷に帰って作家として生きる島尾ミホと、それを献身的に支える島尾敏雄の最後までを描きながら、それでも象徴的に使われる日記の内容は明らかにはならない。しかし文中に出てくる色々な人の発言や証言の中から、二人の思いや当時の様子を覗うと真実が少しずつ見えてくるような気がする。

 それにしてもよく書いたものだと思う。筆者の作品は「散るぞ悲しき」しか知らなかったので、女性にしては珍しい書き手だという印象があった。もう少し年配の人なのかと思っていたが、この機会に少し他の作品も読んでみようかと思っている。それにしてもと言うのは、読後感として何故いまさら「死の棘」の島尾ミホなのだろうかという疑問であるが、それだけのことである。余談だが、最後に島尾ミホの死を発見する孫のしまおまほは漫画家で一時期彼女が出ていた深夜のラジオ番組を良く聞いていた。コメントよりも彼女の笑い声が良かったのだが、それもただそれだけのこと。「狂うひと」梯久美子(新潮社)

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2017年

1月

04日

正月に読んだ五冊の本

 年末に用意しておいた本はまだあるが、全てを読むことはできなかった。取り敢えず掃除をしたり、孫たちと初詣に行ったりと正月らしいこともやりながら、合間に少しずつ読んだ。いま読みかけの本もあるので、今年もこんな感じで出来るだけ読んでいきたいと思っている。食わず嫌いという言葉があるように今まではお気に入りだけを対象にしていたが、お客さんから情報を得て色々なものを読むようになっている。

 雑誌で紹介されていた「罪の声」は年末にかけて推薦している人が何人かいたので丁度良かった。元々未解決事件に関する本が好きで店の棚にも置いている。これは「グリコ森永事件」を題材に作り上げた作品である。この時代の社会的な事件として遺留品の多さは共通しているものがあるが、それでいて未解決となっている。今回はあくまでも創作であるが、筆者の指摘している物語の内容にも共通しているものがある。或いはそのこと故に解決しないと言えるのかもしれないと思う。筆者は元新聞記者だと言うことなので事実をなぞりながら丁寧に書かれており、物語の展開も惹きつけるものがある。未解決事件なのでもしかしたら犯人もこの本を読むことがあるのだろうか。

 「反骨」は沖縄知事の翁長家の政治家としての存在や沖縄の人間関係が良くわかり、国会議員の質も描かれている。何度か使われる米軍兵士の言葉である。「犯罪はなくせると思うか」答えは一斉に「ノ―」である。翁長氏は政治家としてプロであると思うが、その諦観に裏付けられた言葉は哀しい。でも私の意識も氏の指摘通りなのだろう。

 「父よ」は最近よく読んでいる老後の生活を書いたものである。母親は定年後にパーキンソン氏病にかかり、父親は痴呆症となる。おまけに妹は精神疾患を持っている。執筆生活をしている筆者は自分の生活を犠牲にして介護をしなければならない。次々と押し寄せる困難を日々解決していかなくてはならない。そこから解放されるのは両親が亡くなってからだ。現実だがこれは哀しい。筆者は川越市の人である。

 田中さんの本は単行本で出された時にすでに読んでいたが、文庫版を出す際に多く加筆をされていると言うので再度購入して読んだ。本当に読みやすい文章だ。音羽館の広瀬氏の本もそうだった。一度店を見てみたいとは思うが、多分それはないだろうとも思う。「罪の声」塩田武士(講談社)、「反骨」松原耕二(朝日新聞出版)、「渋谷の農家」小倉崇(本の雑誌社)、「父よ、ロンググッドバイ」盛田隆二(双葉社)、「わたしの小さな古本屋」田中美穂(ちくま文庫)

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