2018年

6月

29日

探求本を読んでみる

 お客さんから探求本を頼まれることがある。その前提として「こういう本はありますか」と聞かれる。今では本が増え続けて目録を作る作業が全然追いついていかないので、何処にどんな本があるのかおぼろげな記憶をたどりながらもほとんどがそのリクエストには応えられない。大体が探している時にはその本は見つからない。どうにかすると後でこんな所にあったと言うことがあるが、お客さんが探している本は店にないと言うのがほとんどである。基本的には一万冊程度の在庫の中から探している本が見つかるのは全くの偶然に頼るしかない。年に何回か行われる県内の大きな古本市に出かけるが、あの何万冊もの本の山の中からでも自分の欲しい本は何冊も見つからない。そういった意味からでは、今はネットで検索すれば欲しい本がすぐ出てくるのは便利であり、古書店がネット販売に重点を置いているのは理解できる。

 探している本がないのでお客さんは何も買わずに帰るしかないのだが、こちらとしてはどうもその本が気になってしまう。お客さんはその本の何が良くて欲しいのか、作家や作品の名前がわかる場合は探してきた読んでみる。手に入れた所でもう売れるあてはないのだが、わざわざ探しに来ている本なので一応読んでみる価値はあるのではないかと思ってしまう。読む本は売るほどあるのだが、何を読もうかと悩むことは多い。お客さんが古本屋で探す本なら面白い本だろうと言う安易な考えではあるが、自分の趣味的な範囲では読まないだろうという本が読めるのはありがたいことである。

 どこかの雑誌で今まで書きためた漫画関係の文章をまとめて出したいという記事を読んでいた。いつ出るのだろうと思っていたが、たまたまお客さんから出てきた名前から書店の棚を見ていたら何と既に発行されていた。あまりにも高額なので悩んだが、全二巻ということだったので思い切って購入することにした。それにしても最近の文庫本は高くなったと思う。「鶴見俊輔全漫画論1・2」鶴見俊輔(ちくま学芸文庫)

0 コメント

2018年

6月

22日

危険な書物に誘惑される

 お客さんにこの本は幾らなのかと聞かれて合わせて内容も聞かれたが読んでいない本だった。結局お客さんは買っていかなかったのですぐに読んでみた。全く知らない人だったが面白く読み終えてしまった。自分の読書の思い出を綴ったものだが文章が読みやすくて内容がわかりやすい。思春期から青年期の読書の思い出は一生の思い出である。難しい本を背伸びして読んでみたり大作を読み終える充実感や時間を忘れて読みふける本のことなどとても上品な文章といった感じで読み終えた。私が十代の時に知り合った教師を懐かしく思い出した。「告白的読書論」石井洋二郎(中公文庫)

0 コメント

2018年

6月

15日

暮らしの手帖を読んでいた頃

 お客さんが昔のブロマイドを持ってきてくれた。雑誌の付録だったものだが誰だかわかりますかと言って持ってきたのだ。本人のサインが入っているのにも関わらずほとんどわからなかった。また家には「暮らしの手帖」の創刊号から揃っていると言う。そんな古い号は知らないが「暮らしの手帖」は一時期読んでいたことがあった。何故読み始めたのかは憶えていない。何年簡かは読んでいたと思う。サイズが大きいのと重いので止めてしまった。以後たまに特集で気になるものは読んだ記憶があるが最近はほとんど読んでいない。それを全巻を揃えていると言う人がいるのだろうかと思う。年に何冊かの発行なので量としてはそう多くはならないのかも知れない。しかし古本として出てくるものも一時期の年数は揃っていても数年分がほとんどである。ずっと同じ立ち位置で発行されていることはすごいと思うがそれをずっと買い続けている人がいたとしたらそれもすごいと思う。

 何故読んでいたのかはわからない。多分広告収入に頼らない本と言うことと目玉企画である商品テストと言うことがあるのではないかと思う。そんなことをどこかで読んだか教えて貰って読んでみたかったのだろう。もう一つは本の装丁やデザインが自分の好みに合っていたのかも知れない。そのベースになっているのが編集を担当する花森安治という人のセンスなのだろう。近年テレビに取り上げられたせいか関連する本が何冊も出版されている。そのうち今回読んだのは評伝である。前半は大政翼賛会で働いていた戦時中の生活が語られ後半は雑誌編集長としての活動が語られる。ユニークな女装の話や戦時中のぜいたくは敵だというコピーの作者としての話など興味深く読ませるものがある。ある意味では戦争によって生き方を変えた人物像が書かれているのだが、雑誌の編集とイラストなどの独特のセンスが一番の魅力のような気がする。

  雑誌購読が長続きしないのは特集の内容で魅力が一定しないことだ。暮らしの手帖で取り上げた内容は多岐にわたって一定の水準を保っている。結局手元には一冊も残してはいなかったがスクラップして参考にしていた記事もあった。最後に年表や文献の一覧があるので関連書籍を何冊か入手したいと思っている。「花森安治伝」津野海太郎(新潮社)

0 コメント

2018年

6月

01日

かわいそうな象の真実とは何か

 地域の仲間たちの集まりの中で絵本「かわいそうなぞう」の話が出た。近くに児童文学を教えている教授が住んでおり、その講演会に参加した中で題材に挙げられたようである。その講演会にそ出席できなかったので、その真実とは何かと言うことを教えて貰おうとしたが実態が何か上手く伝わっていないようだった。そんな訳で何冊かの絵本を読むことになった。

多分この絵本を読んだ人やラジオで「秋山ちえ子の談話室」を聞いた人、学校教科書で学んだ人が多くいるのであろうと思う。私は知らなかったか忘れていたのだろうか憶えていなかった。

 簡単に言うと、戦争中に、上野動物園に飼われていた象が、住民に危害を与えないようにと殺されてしまったというお話である。絵本では空襲の場面があったり、戦争のために象が死ななければならなくなったので戦争はいけないと言うことになっている。講演会での教授の話ではこれには違う真実が隠されているということのようだったが、実は皆さんの話の中では何が真実なのかがきちんと見えてこなかった。そして実際本を読んでみていくつかの真実があると言うことがわかった。

 絵本とは言え結構難しい話でもあった。ストーリーは省くことにするが、絵本自体にも不自然な描写がある。戦時中に猛獣の処分に関する国の命令は出ていなかった。東京都長官からの命令であった。動物が殺された時にはまだそれほど緊迫した状況ではなかった。戦争を国民に自覚させる意味で殺害し、まだ生存しているうちに慰霊祭を強行している。他の動物園での引き取り(疎開)を認めなかった。象だけではなく他の動物も処分された。いくつか箇条書きにしたが、細かい部分の描写はかわいそうな話としては事実なので詳しくは書きたくない。象が毒入りの餌を見抜いて食べない、餓死させようとするが餌が欲しくて芸当をする、飼育員が内緒で餌を挙げると倉庫の鍵をかけられる、想像するに悲しい話である。平和教材としてのお話であるが、いくつかの本を読んだので、余談として日教組の方針、東京都長官の人物像、戦争児童文学評論、象を助けた名古屋東山動物園での軍人の話など、色々な内容が頭の中に入ってきてしまった。

  戦後にタイから贈られた井の頭動物園の象の花子の話は絵本とは別に人間と動物との関係を考えさせられる問題でもある。世界一かわいそうな象として非難を受けた経過など、群れから離れたった一頭で動物園に飼われて、飼育係の入ってくるドアの前で立ち尽くす姿を想像するだけで胸が痛む思いである。子供が小さい頃から色々な動物をペットとして飼っていたが、結局動物の世話をすることに疲れ、自分が世話をすることになってしまうことがほとんどだった。そんな人間の身勝手な行動から一時的には可愛がられても最後には捨てられたりしてしまう動物たちがいるのも事実である。なにをもって真実と捉えるのか問題点はいっぱいあるような気がする。「かわいそうなぞう」つちやゆきお(金の星社)、「そして、トンキーもしんだ」たなべまもる(国土社)、 「戦争児童文学は真実をつたえてきたか」長谷川潮(梨の木舎)、「戦争童話集」野坂昭如(中央公論社)、「もう一つの上野動物園史」小森厚(丸善ライブラリー)

0 コメント