2015年

11月

27日

昔の名前は忘れました

店を始めようとして店舗物件を探している時に、街の中を歩き回りながら、なかなか素敵な店がることを知った。時々は立ち寄って、店内を眺めながらお茶を飲んで、その雰囲気を味わっていた。どこも若い人達が頑張っているという様子で好感が持てる店である。結構色々な店が有って面白い街という気がした。ところが最近になって、その中の三店が閉店してしまった。確かに行列のできるような感じではなかったが、それなりに繁盛しているという感じだったから意外な気がした。何回か行くうちに少しずつ話をするようになる。それぞれ経営的には大変な思いをしているようで、それは良くわかることだ。店を閉めるという段階になると、やっと解放されるというような思いになるのか、それまでの疲弊した顔から少し和らいだ表情を見せていた。個人的に気にいった店が閉められるのはとても残念だ。

周辺で若い人達がお洒落な店をいっぱい始めてくれると街が賑やかな雰囲気になり、また違った街づくりへと向かっていくのではないかと期待したりしている。多分いまはどこの地方都市もこんな感じで、商店街では苦労しているのではないかと想像する。以前に全国の色々な商店街や商業地を見学に行ったことがあるが、どこも前のような賑わいを取り戻すための取り組みをあれこれ試行錯誤しながら行っていた、大体成功した所を見学に行くのだから、面白い企画を考えたりしている様子を聞きながら、これは地元で使えるだろうかと帰りの時には考えていた。でも実際にはお金がかかることであったり、いくつかの障害を越えていかなくてはいけないことであったりと、なかなかその重い腰を上げると言うことには至らない場合が多い。それぞれ個人的に抱いている情熱のようなものが、現実の場ではなかなか一つの方向に向かって結びついていかないというのがある。

今日私の店の向かいにある店舗に貸店舗という張り紙がしてあった。確か開店してそんなに経過していないと思ったのだが、速いものだ。私が店を始めてから、向かいの店の名前はすでに三回変わっている。現実は厳しい。

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2015年

11月

20日

ほんとの出会い

 自分の好きな読みたいと思う本を並べて置きたいと思っているが、現実にはまだまだそのようにはなっていない。何を読みたいのか何を読むのかは実際それを手にした時にはっきりするような気がする。以前から書評欄を眺めたりしてこの本は面白そうだとか読んでみたいとか思いながら高くて買えなかった本などもあり、簡単なリストを作って置いたりしても記憶の中からいつの間にか消えていたりするのでそのままになっている場合もある。他人から薦められたものなどもすぐには読めないこともある。

一番の気がかりは読む時間が残り少なくなってきており、果たしてどれだけの本が消化されていくのか分からないことだ。でも本は向こうからやってくる。それを読んでいけばいいのだと思う。持ち込まれた本の中にそれは有るかもしれないし、訪ねた店でそれを発見するかもしれない。とにかく何を読まなくてはいけないとかの制約もある訳でもないので焦って探したりしないで、出会いが無ければそれまでのこととのんびりとやってくるのを待っていればいいと最近は考えている。

 色々な人が本を抱えてやってくるし、本を探し求めてくる。そんな人との出会いや話の中で又いつか読んでみたいと思う本も出てきて、もういつ何を読んでも何の支障もない状態なのだ。だから読み終わったら棚に差し、読まないものもとりあえず棚に置き、読む前にその場から無くなってもいつか再び手にする機会もあるだろうと思っている。よく言われるのがこの本を全部読んだのですかという質問だが、読もうと思って置いているのでまだ全部読んではいませんと言うしかない。順序も際限もなく読み続けるしかない。

 そして今日は送られてきた二冊の詩集を読んだ。年齢的にもほぼ同期の昔のサークル仲間だ。サークルのメンバーではもうすでに亡くなった人もいるが、何か皆頑張っているような気がしてきて少しやる気が出てきた。

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2015年

11月

12日

本の本の面白さ

最近はこれでもかという感じで本や出版に関する本が出されている。やはり売れているから次々と出されるのだろうなと思うが、そのうち本の種も尽きてくるだろう。そうしたら古本屋では売れそうもないそれらの本が流れてくるということになるのか。かってのアイドル歌手の読んだ本も一冊にまとめられて少し話題になっていたようだが、この手の読書お薦め本が結構出ている。また最近は出版社を紹介したものが出てきた。以前にひとり出版社のことを書いたが、今は小さな出版社が取り上げられている。個人的には地方出版社や小出版物が取り上げられるのはいいことだと思う。売れないのに良書を出し続けている小さな出版社や小部数しか出ないものを作り続けている出版社が注目され、本が売れるようになればそれは次に続くことになるので嬉しいことだ。しかし次々と出される本の本を見ているとやはり売れるから出すんだろうなと言う複雑な思いがする。もちろん出版不況の時代に本が売れるのはいいことで、それで商売しているのだから売れれば次を出すのも当然ということになる。でもそのうちにだんだんとつまらない本も後を追ってくることになる。

かなり昔に本の雑誌という本があり、創刊から読んでいた記憶がある。限られた書店にしか置いてなかったから結構苦労して手に入れた気がする。その初期の数冊は古本屋でも高価な値段が付いていてなかなか入手できないと聞いたことがある。私もすでに手離してしまっていたのでどんな内容だったか憶えていないが、最近その創刊号からの全10冊セットというのが本の雑誌社から出された。つい買ってしまった。どのくらい売れたのか分からないが、これで古本屋で高く買う必要はなくなった訳だ。読者としては読みたいものが復刊されると嬉しい、古本屋としては高価格のものが一気に暴落してマニアやコレクターの存在だけが望みになるということである。復刊ドットコムでも復刊リクエストで高得票を得れば出版するシステムのようだ。こちらは確実に購買層がいる訳だから多少高くても売れていくのだろう。本の雑誌創刊号10冊セットは1冊だけだと500円だが、ゼットなので10冊分の値段になる。出版の世界もなかなか慎重、小さな出版社も頑張って貰いたいという結論にしかならない。


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2015年

11月

05日

限りない欲望

引越しをするのでいらなくなった本を引き取って貰いたい、店を閉めるので置いてあった本を差し上げます、読まなくなった不用の本があるので要りませんか、このような依頼が入るようになってきた。また、今本は図書館で借りて読むようにしているという人が多くなっているようだ。本が邪魔にされているような気がするのだが、それらの連絡が入ると古本屋はやはり喜んでしまう。どんな本がどれだけあるのだろうかと期待してしまうのだ。しかし現実には不用になった本はいらなくなったから捨てようとしている本なのだ。読みたいという人がいればとか少しでも売れればと言う思いもあるだろう。でも読まずに処分されようとしている本はやはりそのような本でしかない。どうしても捨てられない本は取っておくだろうし、値打ちがありそうだと思う本はそれなりの所に持って行く。したがって本当に要らない本の処分を任せられるということになる。それでも古本屋は何か良い本があるのではないかと思いながら買い取りに向かうのだ。

昔々の古本屋はごみの中から拾ってきた本に値段をつけて売り商売にしていたようだが、今はネット社会なのでどの本にどれだけの値打ちがあるのか誰でも調べることが出来るようになった。そして店を持たなくても個人で売買できるようになった。古本屋に行って買った本をネットで転売して生活できるようになっている。そういう人の話を聞いていると店を構えて地味に本の買い取りをしているのがバカバカしくさえ思える。でも最近はこれもあまり商売にならなくなってきていると聞いた。普通に考えれば皆が同じことを始めればやはりそれで稼ぐことは難しくなるだろうと思う。同じようなことはどの商売でも言えることだ。だから捨てようとしている本は捨てられる本と言うことになっていく。それがわかっていてもやはり買い取りに出かけるのだろう。

本のリストを見せてこんなものがありますと言ったら、こんな本は売れないので処分する費用を負担して貰えれば買い取りますと言う古本屋があった。その費用は段ボール箱およそ一箱位について2万円と言うことだった。本を捨てるのにそんな金額は払えないのでごみに出したが、別の店では僅かばかりでも金額を提示してくれた。本の評価はわからないが店の評価は出来る。

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