2019年

5月

30日

母の実家へ行く

 店を閉めて家に帰りちょうど一息つく時間にテレビで「ポツンと一軒家」という番組をやっていた。内容は衛星画像で見つけた山の中の一軒家を訪ねるというものだ。いま自分が住んでいる家は多少不便な山の中にあるがこの番組で紹介されるような山の中ではない。だが小さい頃に母親に連れられて母親の実家に行く時はまさにこんな感じで一日がかりであった。川に降りる坂道まで自転車で行きそこから自転車をかついで川底まで降りて川を渡りまた坂道を渡って反対側の道路に出る。川に降りる坂道はかなり急な道であった。そこから実家のある山のふもとまで行く。そこに自転車を置いて坂道を登って行くのだ。道は途中から人が一人通れるような細い山道になりやっと実家に着くことになる。帰りもそのコースを逆にたどって帰ってくることになる。

 今はその家には誰も住んでいない。一家は山を下りてふもとに家を建てて住んでいる。畑が残っているので実家は作業小屋のように使われているだけだ。テレビに映し出されているのはまるで当時の実家のような風景だった。山の上から見る景色は全くそのままである。以前に帰った時に教えてもらって行ってみたが今は10分くらいで山の上までいけるようになっていた。こんな山の上の家が全国には多くあるのだろうか。番組を見ているとこうして家を守り山の中に住み続ける人もまだいるような気がする。山も家も自然環境や代々続く家も貴重なものである。テレビはそこに住み続ける人を中心にドラマ的に作っているがこうした貴重な環境を生かした国策が考えられないものかと思うばかりだ。

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2019年

5月

24日

高齢ヘルパー

 

最近のニュースでよく見るのが高齢者に関するものだ。社会的な事件のようになっているのが高齢者の交通事故と福祉施設での死亡事故である。背景にあるのは当然ながら社会全体に高齢者が多くなっていることだろう。ありえないことだが人生100年時代などと国が言い出したのは最近のことだ。その理由は年金制度が破綻するからだ。高齢者の交通事故については明らかにペダルの踏み間違いでこれを認知症に関連付けて運転免許を返納しようと言う運動に繋げている。社会的な制度が高齢化社会に追いついていないのではないかと思える。車が高齢者や女性などにも気軽に運転できるようにオートマチック車を主流に生産し始めたのもそんなに昔のことではない。個人的な考えだがペダルの踏み間違いはオートマ車の普及と関係があるような気がする。両足でペダルを操作しないことによるせいではないかと思う。いま開発をすべきなのは自動運転ができる車ではなく初動時にゆっくりと発進する専用車ではないか。高齢者が運転免許を返納しない理由でよく聞かれるのが買い物や病院へ行くことが出来なくなってしまうと言うものだ。遠出をする訳でもなく日常生活に使用するだけの公共交通機関を整備することが出来ないものかと思う。

 

自分が高齢になる前に家族が長期入院する機会があった。毎日のように病院に通う訳ではなかったが、行った時には職員ではなく自分が介護をすることもあった。全く身体を動かせない状態だったので、ただ単に力任せにできる介護とは違った。退院した後で将来的にも同様のことが怒り得るのではないかと思って空いている時間を使ってヘルパーの講座を受講した。今ではテキストも無くなってしまい学習したことも忘れてしまったが、必修だった施設への研修は良い経験をしたと思っている。一応当時の二級ヘルパーの資格も取ることが出来て、就職をするべく必要性ができてハローワークに通っている時に役に立つのではないかと思ったが、残念ながら自身が高齢者になってしまっているせいもあるのかどこにも採用されることはなかった。今も施設の壁にスタッフ募集などと言うチラシが貼ってあると折角の経験なので行かせないかと思うこともある。ただ高齢者の男性ヘルパーでは敬遠されるようだ。先日所用で実家に出かけた際にも実際に在宅での介護が必要な現実が多くあることもわかった。介護する側にも介護を受ける側にもなりそうな自分を考えて介護に関する色々な実践を読んでいる訳である。「男性ヘルパーという仕事」山口道宏(現代書館)

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2019年

5月

11日

懐かしい気分で本を読む

 

小さな町が生んだ二大小売チェーンと書かれている町は埼玉県小川町であり、中に登場するのは店のある東松山であったりと極めて身近な処の話がいっぱい出てくる。同時に昔住んでいた町にあった小さなチェーン店も出てくるので懐かしい思いで読んでいた。しかも「しまむら」の前社長は自宅の近くに住んでいるのだ。銀行などもそうだが合併を繰り返して昔の名前をすっかり忘れてしまった。同じように身近にあった小売チェーン店も吸収合併を繰り返してどんどん名前が変わっている。そう言えば私も昔はそんな会社に勤めていた。ほんの数年だったが色々な店を見に行って勉強をしたつもりであった。つい何年かまえまでその頃に勉強した帳票類を保存していつか役に立つのではないかと思っていた。それらを捨ててから店を始めることになったが、今ではパソコンでそれらを記帳する時代なので実際には持っていても役に立つことはなかった。そんな厳しい時代の中でタイトルのなっている二大チェーン店は生き残っている。当初の店とはかなり変わってきているが、大手も存続が厳しい中で店舗数を拡大して売り上げを伸ばしていることは評価されるだろう。今よく名前を聞く有名なそんなチェーン店のいくつかは今後はどうなっていくのかわからない社会状況だが、何だか懐かしい思いで読んでみた。「しまむらとヤオコー」小川孔輔(小学館)

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2019年

5月

02日

新鮮だった歌集

 先日店を臨時休業として実家に久しぶりに帰ってきた。翌日店のポストを見たら一冊の本が入っていた。皮肉なもので店に居る時はほとんどお客さんは来ないのだがたまに留守にするとお客さんがやってきたりするのだ。その本は近くに住む詩人の方が今度は出版した歌集を持ってきてくれたものだった。詩集は興味があるものを結構集めてきたが短歌や俳句などはほとんど読んでいないし店にも置いていない。そんな訳で読むこともないのだが折角持ってきてくれた本なので家で少しずつ読んでいた。よく食わず嫌いという言葉があるように読まず嫌いで手にしなかった短歌が新鮮でとても面白く読んだ。取り上げられている題材が身近なものが多く自分の知っていることなどが歌われているのも良かったのかもしれない。言葉は難しかったが作者の洒落た言葉遣いがセンス良くて思わず色々な場面を想像しながら楽しんで読み終えた。一つだけでも紹介したい。「手作りのプラカードに添へ冷えピタ・塩飴・ボトル・OK」以前に来店された時に自分の勤めていた職場にあった詩人の会の先輩と同じ同人誌で活躍していたと知ったがまだまだ元気そうだった。読み終えてその暮らしぶりが想像できるようで嬉しく思った。「独居小吟」栗原澪子(コールサック社)

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