2019年

12月

28日

苦しい社会

随分と前に宮崎駿氏の新作アニメが創られているようだと書いたがまだその姿は見ることが出来ないままだ。先日ジブリ美術館の記事を読んでいたら確かにアニメは作成されているようだった。テーマとしては若者はどう生きるのかということだったような気がするがどんな物語になるのか完成するのか楽しみにしている。

先日出かけた古本屋で見つけた本に「この社会で働くのはなぜ苦しいのか」というのがあった。パラパラと中を見ていたのだが悩んだ末に買うことにした。買ったは良いがまだ読んでいない。すぐに読み始める本と暫く置かれてしまう本がありまだ棚に置いたままになっている。生きにくいということは働く事が苦しいからということになるのだろうか。確かに職場や仕事の場での付き合いが楽しい事ばかりではないのは事実で勤めを辞める人は多い。

最近やってきた若いお客さんで現在入社して研修中だという人がいた。大学を出て就職をして配属が決まるまでの研修をしている時期だということだった。実家が店の近くなので決まったらまた来るのでそれまで店を維持していて欲しいなどと言われた。おそらく今は配属先も決まって実践的な仕事に追われているのではないだろうか推測できる。好きな方面に就職が決まったのだから頑張って貰いたいと思う。好きな仕事を見つけてそこで働く事が出来るのは良い事であり楽しければ言うことはない。自分の事を振り返ってみるとやはり何度かの転職を繰り返した後に諦めたように生活の場として働いて来た様な気がする。そうこうしている内に年齢を重ねてしまうのである。

好きな仕事をして楽しく続けられれば生活のレベルは我慢できる範囲なのかもしれない。そんな事なども考えながら若い人がやっている古本屋を探しては見に行っている。本を中心とした店やカフェや雑貨店などを見ているとそこで働く若者たちには共通点があるような気がする。本が好きなのは当然と言えるのだろうが店を持つ人はネットで本を売るだけではなく人とのつながりのようなものを求めているように見える。本を通じて人と人とのつながり出来ればそこから別の楽しみがあるのだろう。会社に勤めて働く中にはない喜びがあるのだろう。会社勤めでは苦しい生活のためだけの仕事となりその息苦しさからはみ出してしまう人や初めからそこには入らない選択をする人達なのかも知れないと思ったりする。

「この社会で働くのはなぜ苦しいのか」樫村愛子(作品社)、「彼岸の図書館」青木真兵・海青子(夕書房)、「古くて新しい仕事」島田潤一郎(新潮社)、「しょぼい喫茶店の本」池田達也(百万年書房)

 

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2019年

12月

15日

いよいよ来たのか

趣味的な店とは言えあまりにも暇なのでついパソコンを眺めている事が多くなる。そのせいかあるいは老化現象なのか最近は目が見えにくくなっている。まず細かい字が読めなくなっているのとつい上目づかいに裸眼で字を眺める癖がついてしまい字を追うのが物凄く疲れるのだ。したがって本を読むのが疲れるようになってしまった。昔本が好きなのなら古本屋になりなさいと言われたがこんな事が待っているとは思わなかった。おまけにどうもパソコンで字を読んだり書いたりするのが行けないのかも知れない。先日もお客さんに本が好きでよく読んでいる人の目が見えないというのは致命傷だと言われた。高齢のお客さんがよく言う言葉に目が疲れるし細かい字が見えないから本を読まなくなったという事がある。それを実感する。このまま悪い状態が進んだらもっとひどい事になるかも知れないという不安があるのでビクビクしているのである。おまけに加えていけないのはお金の計算ができなくなってきたことだ。お釣りの暗算で繰り上がりや繰り下がり雅分からなくなってしまう事がある。面倒なので買い物をするときはお札を出して釣銭を貰うようになった。店では簡単なことでも計算機を使うようにしている。趣味的な店なので本の価格も切りの良い分かりやすい金額に設定している。多くの高齢者が同様の問題で悩んでいるのかも知れないと思いながらこの不安感が人生の最後の方でやってくるのを分からなかった。

いかし毎週のようにあちこちに出かけてはお客さんに頼まれた本を探して歩いている。面白そうな本があるとつい手が出てしまい買ってきた本はまず必ず読んでいる。

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