2019年

4月

21日

真似できない才能

 何度も同じことを繰り返しては後悔している。記憶の端には有るのだが確信は無いので同じ本を何度も買ってきてしまうのだ。しかも読んでもまだ一度読んでいると言う自覚が無いのだ。別に同じ本を何回も読んでも構わないし悪いことではない。ただ限られた残り時間を考えるとちょっともったいないと言う悔しさは残る。読んでいる時には前にも読んでいると言う感覚は無かった。だが本棚に入れたら同じ本が並んでいたと言うことだ。本に関する本は何度も読んでいるので同じような感覚を持つことはある。出版社を立ち上げたという例も本で何度も読んでいる。新規に始める際には色々な面倒くさい手続きが有ることはそんなマニュアル本を読むとよくわかる。だがこの人にはそんな難しいことが簡単にクリアされていく。そんな事柄が次々と展開されていくのはとても優秀な人なのだと思われる。ちょっとやってみたら出来てしまったとさらりと言われても自分でやってみたらとても出来そうもない。そんなことが簡単に書かれている。そんな本を自分で書いているこというともそう簡単にできることではないと思うのだが。「日本でいちばん小さな出版社」佃由美子(晶文社)

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2019年

4月

06日

貴重な資料

著者は「彷書月刊」という雑誌を長く発行してきた人で何年か前に亡くなっている。その中の本人のコラム欄が面白くて亡くなるまでの様子がリアルに書かれていた。近くにある川越市の帯津病院まで通っていたとも書かれていた。この雑誌をはっきりと覚えていないのだが、私はどうも定期購読していたようで何年分も店の棚に並んでいる。雑誌の最後に色々な店の目録が並んでいるのでそれを見ていたのかも知れない。こんな感じで最近はどこで買った本なのかをあまり覚えていないのできちんとした資料の作成が出来なくなっている。

古本屋の店主が出している本も何冊か買って読んだことがあるがこれが皆面白い。文章が上手いのに感心してしまうが古本屋から作家に転身する人もいるのだから元々才能があるのだろう。この人の文章も面白いので本も持っていた。だが売ってしまったようで見つからなかったので再度購入して読んでみた。結構良い値段をしていたが一冊位は手元にあっても良いだろうと思いきって買った。発行人が亡くなってしまったので雑誌も終刊号を出して終えた。それらは店に並べた段階ですぐに売れてしまった。雑誌に連載記事を書いていた人が最近来店して店のことを紹介してくれた。その記事を見たのかどうか知らないがお客さんが「彷書月刊」を大量に買って行ってくれた。古本屋の店主の本で感心する事がある。実に色々な情報を提供してくれることである。昔のことや様々なエピソードを丁寧に調べて書かれているのだ。単に記憶の範囲ではない事実を丹念に見つけて拾い出して書いているのだ。そういう意味では古本屋というのは資料の収集には便利である。そうそう貴重な資料が見つかることが頻繁にあるわけではないだろうが探そうと思えば色々なルートを見つけ出すことが出来る。昔の古本屋の商売というのは一面ではそんな感じであったのかも知れないと思う。それは今のネット中心の古本屋とは違う世界なのかも知れない。「彷書月刊編集長」田村治芳(晶文社)

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